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メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/3/22-25

2017.3.22

那覇から羽田に飛び、そのまま二子玉川のクリニックへ行って、健康診断。

 

2017.3.23

午後、PARCに行って、丸岡さん、眞鍋くんとTPAMに関するミーティング。

その後、恵比寿駅前のサンマルクカフェの喫煙室で仕事をしていたが、めちゃくちゃ臭くなっちゃって閉口。

 

2017.3.24

二子玉川のクリニックで健康診断の診断書を受取り、立川からあずさに乗って塩尻。市役所で住民票と身分証明書をとってから帰宅。

 

2017.3.25

実家に帰ると夜が早くなるので、朝からデニーズに行ってみる。朝のコミュニティができていた。お互い朝ここで会うみたいな人たちが挨拶して一緒にモーニングを食べている。

父の印鑑証明を市役所に取りに行き、郵便局で家の契約書類と、文化振興会への提出書類を発送。

 

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2017/3/15-21

日記2017

2017.3.15

広島空港からANA那覇空港。マイルを使って。

銘苅ベースについたら、下山さんと安和さんたちがりっかりっかフェスタの打合せ中だったので、待ち時間にとなりのたたき場で、翌日〆切の1200字小論文(沖縄県文化振興会に出すやつ)を書く。なんかピンと来なくて書きあぐねていたがようやくラインが見えた。

おきなわ芸術文化の箱の皆さんと打合せ。劇場のことについていろいろと喋った。

 

2017.3.16

朝起きて、小論文の直しをして、職務経歴書をアップデートし、履歴書を書く。

久々のゴカルナでランチをしてから、文化振興会の事務所に応募書類を持ち込み提出。

小禄のガストで原稿仕事。

夜に初めてトラベルマルチクッカーを使ってローソンの冷凍つけ麺を食った。

 

2017.3.17

起きて、インターネットで部屋探し。不動産屋に電話して、現地集合で内見。問題ないのでほぼ決めた。

午後、北海道演劇財団の平田さん、ハムプロジェクトのすがのさん、天野さんと面会。札幌の話を改めてうかがって、平田さんはやっぱりすごいなと思った。

 

2017.3.18

1日ほぼ籠もって仕事をしていた。

 

2017.3.19

平成28年度沖縄文化活性化・創造発信支援事業の事業報告会に行った。いろんな方と再会。

懇親会で比嘉豊光さんから「ぬじゅん」という写真雑誌を貰う。墜落沈没したオスプレイの海中写真。すごい。

 

2017.3.20

1日ほぼ籠もって仕事をしていた。

APPキャンプ・メルボルンの報告を〆切1週間余遅れで提出。

 私は2014年、ソウルでのAPPキャンプ以来、3年ぶりの参加だった。前回参加してアジアのプロデューサーたちと個人的に関係がつくれたことは自分自身の海外への姿勢を変える画期となったので、この間不参加だったことを残念に思っていた。
 とはいえ正直に言うと、メルボルンに着くまで、自分の仕事の領域や「アジアのプラットホーム」であるAPPにオーストラリアがどんな意味合いをもつのか、イメージを結べておらず、どことなくモチベーションに曖昧さを残していた。結果的には思った以上に得るものが多い1週間となった。
 オーストラリアは、イギリスや欧米「ではない」西洋文化の国である、その一方で、先住民との共生共存の課題を抱えている。アイデンティティ、そして国際的あるいは地政学的な自らの位置を探り続けてきたオーストラリアの歩みから、アジアの中の日本、あるいはアイヌや沖縄との関係など、自分が普段見過ごしている点が繰り返し意識された。
 そして何より印象深かったのは、先住民の芸術活動とその考え方である。とりわけ期間中何人かの発言で聞いた「文化に参加する」(participate in culture)から「文化を通して形づくる」(shape through culture)へ、といったフレーズは、私に深い示唆を与えた。舞台の上に作品を創り、公演という場をプロデュースし、客席に観客の参加を得るというようなあり方(だけ)で、果たして私たちの仕事は事足りているのか。既存の芸術・文化のあり方を保持することで、却って現代社会の中でのポテンシャルを低く見積もっているのではないか。日頃抱いているそんな疑問に対して、取り組む上でのヒントを与えてくれる。
 このフレーズの元を辿ると、先住民がもつ世界認識にまで遡ることができる。「すべての事は今も創られている。プロセスの上にある」・・こうした見方は、過去から現在・未来へと線形の時間を仮定して、前後を分け、始点と終点を定め、逆算したり結果から評価を加えたりするような見方~私たちの仕事の前提~に根本から問いを投げかけるものである。
 また今回、韓国のAPPメンバー1人が「ブラック・テント」運動中で不参加となったこともあり、特別に検閲について議論するセッションが行われた。国・地域を越えてそれぞれの経験と観測を基に情報を交換し、議論した。国際的なプラットフォームの重要性と意義を改めて実感するに十分なものだった。
 APPキャンプが含まれていたフェスティバル「ASIA TOPA」の「XO STATE」という企画で、東アジア~東南アジアの様々な地域のパフォーマンスと出逢うことができたのも収穫だった。細かく見れば各地域の伝統文化や現在の社会、西洋との距離感をそれぞれのあり方で反映しているともいえるだろうが、俯瞰してみればほとんどバラバラだった。何を面白がり何をつまらないとみるか、そしてそれは何故か、ぐるぐる迷いが止まらなかった。面白い。アジアという括り自体まだまだぜんぜんわからない、とちょっと怖くも感じたことを、よく覚えておきたいと思う。

 

2017.3.21

沖縄県文化振興会の採用面接。夕方採用の連絡が来る。

金曜日に内見した家の申込書をFAX。

 

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2017/3/8-14

2017.3.8

東京芸術劇場で『なむはむだはむ』を観た。子どもがかいたことばをもとに、岩井さん、森山未來さん、前野健太さんがコラボレーションして創作というもの。バックグラウンドが違う人達がコラボレーションしたものとしてとても緊密なものになっていて感心しながらみていた。
また同時に、これは舞台の評価とは関係なく、平和だな・・と、世界にいろいろとギザギザしたことがあるけど平和だなとも、観ながら思っていた。なんだかそのことが奇異に映る瞬間がたまに、ふいに、訪れた。単純に前日まで2週間外国に行っていただけなのだけど、自分の身体にはそのギザギザの跡があって、お風呂でお湯がしみる、みたいな感じがした。

そのあと実家に帰った。

 

2017.3.9

塩尻市の複合交流施設「えんぱーく」の中にあるハローワークに行き、沖縄県文化振興会の求人への応募の紹介状を出してもらった。

あとはひたすらデニーズで仕事をしていた。

夕飯のときだったか、父が正月の時みたいになんか書類を出してきた。曽祖父篤恵の弟・政彦について、祖母の13回忌の時に父のきょうだいで話題になったらしい。政彦は陸軍の研究所にいて、ミサイルかなんか砲弾の兵器の開発で功績があるらしい。所長にもなって、ウィキペディアにも名前が載っていた。政彦の開発した弾は硫黄島の戦いでも使われた。ググったところその弾が今、靖国神社遊就館にあるらしい。今度行ってみてみたいと思った。

 

2017.3.10

朝しなので塩尻を出発して、京都へ。京都駅であごうさんと合流したら、蔭山さんもいて、あごうさんたちが準備している劇場の物件へ。そのあと、流の關さんも合流して打合せ。

その後、坪池さんと合流して、白河通りの外で空間現代・野口順哉くんにインタビュー。

夜は、アンダースローで地点の『桜の園』を観た。

 

2017.3.11

昼からアンダースローで三浦基さんのインタビュー。その後しばらく仕事をして、外でライブ。テンテンコ、伊東篤宏さん、空間現代、KOPYが出演。ライブも良かったし、終わったあと2階の事務所に移っての手料理懇親会もよかった。愉しい場をつくっているな。

震災から6年。

 

2017.3.12

ひたすら仕事をしていた。

深夜バスで広島へ。

 

2017.3.13

早朝に広島・八丁堀に到着し、少しブラブラしてから、呉へ。

呉市海事博物館(大和ミュージアム)が素晴らしかった。呉という街自体が、海軍そして軍艦や潜水艦の造船で発展してきた街であり、戦後の歩み〜軍港の転用、朝鮮戦争での特需、等々〜も含めてきちんと調べて、右翼左翼どちらからも受け取れるような線できちんと展示されていた。日本の近代史を実感をもって感じられる場所だった。広島は世界の人が知っているだろうけど、呉のことを国内でも今どのくらいの人が知っているのだろうか。
大和ミュージアムは海外の人たちにとっても観光地になりうる博物館。『この世界の片隅に』が海外でも観られるようになったら、来る人も増えるんじゃないかな。
この博物館の設置においては、当時の呉市長がかなり努力をしたようだ。そういう本を見つけたので今度読んでみたい。

その後、呉の港のなかを周遊する船にのって、海上自衛隊の艦船、潜水艦を海からみるツアーに参加し、海上自衛隊の資料館にもいった。海上自衛隊の資料館はおもに、戦後の機雷撤去にどれだけ自衛隊が頑張ってきたのかが展示されていた。

日本の近現代を酸いも甘いも受け取る場所として呉は秀逸。小倉もこのくらいしたらいいんじゃないかと思う。福岡市の博物館はよいので、そのくらいやったらいいと思う。

ここまでで昼。

広島に戻り、原爆ドーム平和記念公園、平和記念資料館へ。資料館の密度は、それほど高くはなかった。それでも原爆の被害についてを概観して感じるには十分。

今更ながらわかった。『東京ノート』の劇場での上演の時、舞台美術でワイヤーのついた球体がいくつも吊られていて、その一つが赤い球なのだが、これは、この平和記念資料館のジオラマ展示にある、原爆の火の玉の引用なのだ。

今回半分無理矢理広島を訪れたのは、昨年1年欧州をいろいろ廻って、産業博物館や科学博物館、アウシュビッツみたいなところも訪れて、ヒロシマ、がまあいろんなところで展示されているのを観てきたのだけど、自分は広島の街をきちんとみたことがないという恥ずかしさから。例えばベルンのアインシュタイン博物館は、アインシュタインの人生を追う博物館でしっかり広島のスペースをとって展示していた。僕はそこに広島のことが展示されているなんてちっとも想定せずに行って、食らったのだった。

やっと観た、という感じ。

次にアステールプラザに行って、演劇を担当されている金沢さんにご挨拶、広島での取り組みについて、ちょろちょろ聞く。

その後、横川へ。横川シネマほかをぶらぶら歩いて回る。「かもめのばーばー」という喫茶店で小さなギャラリー展示が行われていて、そこのおばさんに教えてもらってロペズというお好み焼き屋にも行った。横川はなかなか面白い。

宿にチェックインし、その近くにあった広島つけ麺の店「ひろ」にも行った。広島つけ麺って今回来るまでまったくしらなかったけど、これは僕の好みにジャストミート。今年の夏は自分でタレをつくったりしてちょいちょい食べようと思う。

 めっちゃ濃い1日だった。

 

2017.3.14

朝、岩盤浴。この宿を選んだ理由がそれだったので。・・癒えた。長い時間あるいは度重なるフライトの疲労は岩盤浴でないと癒えないところがある気がする。

平和記念資料館で被爆体験伝承者の方による講話を聞きに行く。

この被爆体験伝承者というのは、広島市が5年前くらいからやっている制度だそうで、この日の回を担当されていたのは、第二期を受講されたという久保田さんという女性。いろいろと勉強して、さらに被爆体験者の方に直接お話をきいて、それを来場者に対して語る。久保田さんは広島出身でいまも在住。専業主婦をしていたけど小さい頃から、周りに被爆体験者が居たには居たが、今まであまり自分自身が考えてこなかったと感じて、伝承者をやろうと思い立ったのだという。

久保田さんが被爆体験者の兒玉さんの経験について語ってくださった。この回の参加者は僕1人だけ(いつもは10人くらいは居るらしい)。ホワイトボードに貼られた地図に場所を示したりしながらも、基本久保田さんの語りだけというシンプルなものだった。でもとても想像をかきたてられる話し方をしておられて、とてもよかった。十分「レクチャーパフォーマンス」だった。

一人の体験を淡々と順を追って、周囲の状況もわかるように語っていくことは、それだけで十分ドラマチックだ。自然と、この先どうなるんだろう、とドキドキしてくる。

これを体験した本人が語る事実性ももちろん貴重なのだが、聞いた話を自分の言葉にして語る営みには、また別の貴重さがあると思う。前々日のインタビューで三浦基さんは、演劇の言葉の公共性はそれが誰の所有物でもないことから出てくる、という趣旨の話をしていたが、被爆者ではない伝承者が被爆体験を語ることは、体験と言葉をだんだん公共のものにしていくことなのだと思う。取り組む人は誰でもよい。自分にその必然性を感じた人がきちんと取り組んで伝えていく。被爆者の方々が亡くなっても、その子供世代孫世代が亡くなっても、この体験は語り継いでいく必要があるし価値がある。

久保田さんの講話が終わって、いろいろと質問していると、次のコマを担当する山岡さんという女性が入ってきて準備を始めた。僕が次の時間には出られないことを告げるとそこから駆け足で山岡さんの講話の内容も見せてくれた。パワポを駆使して、凝ったアニメーションまでしながら、原爆の実相や現在までの核兵器の有り様までについて語る。久保田さんのシンプルなものとは全然違う。

山岡さんは英語の講話も担当しているとのこと。海外の人たちはどんどん質問をぶつけてくるので、典型的な質問に関しては答えられるように英語のカンペノートを用意している。答えられない質問が出てくると、それについて勉強する。ともかく勉強。英語も7年前から勉強し始めた。また、中高生に話すこともあり、東京の高校生などになるとかなり専門的なことまで質問してきて、どのくらい勉強しているか値踏みをされる。もしきちんと答えられないと、その後の話を真剣に聞いてもらえなくなるのだという。だからいつも勉強。その姿勢に頭が下がるし、自分はどうだろうかと問う。

この伝承者の講話は、青年団の河村くん(広島出身)が教えてくれた。教えてもらわなかったら行かなかっただろうと思うので大変感謝している。

沖縄でもひめゆりの体験の語り継ぎが課題として認識されている。この取組みの全体がとても勉強になった。

ここまでで昼。

ここから確定申告の書類をアレして郵送。そして宮島へ。

厳島神社への道すがら「牡蠣カレーぱん」を食べる。おれも前日「かもめのばーばー」の方に教えてもらった。

平家が重んじた神社。もともと宮島に対する信仰があり、推古天皇の頃から神社としての記録がある。河村くんの話では、宮島にはお墓をつくらず、対岸の本州島にお墓をつくっていたのだとか。ある意味、こうした離島を神の島として信仰するというのは、久高島や大神島なんかとも通じるのではないかと思う。そういう、古代を感じさせる場所だ。

呉もそうだけど、このあたりの西(東アジア)との繋がりを今まで意識したことがあまりなかった。日宋貿易を促進していた平家としては、ここを中心に京都の朝廷をもっとアクティブに国際的にしたかったのかもしれない。

ちょうど時間的に干潮で、歩いて鳥居まで行き、ふっとい柱にペチャペチャさわったりした。次回は満潮のときに来てみたい。

広島に戻り、ゲストハウスにチェックインして、広島駅で夕飯(尾道ラーメン)。駅の2階のお好み焼きのれん街みたいになってるところの様は、なんかとても大阪を思い起こさせた。

その後、十日市の音楽喫茶ヲルガン座へ。金沢さんに教えてもらった。ビル一棟が「十日町アパート」という民間のアートスペースみたいになっている。ヲルガン座を主宰しているゴトウイズミさんは、アコーディオンをひきながら歌う活動をしている。この日は、大阪から来た方と、ヲルガン座の「アコーディオン部」の部員の方とゴトウさんの3人によるライブがあった。大阪の方は、リュクサンブール公園というユニットをやっていて、僕はそれを2013年だったか、小豆島坂手港のeiカフェで、ままごとと一緒に観た(遅れて行ったため、この日のライブは観れなかった)。

ヲルガン座には複数の「部活」があり、ヲルガン座で地元の一般の人が集って練習したり発表したりしているらしい。とても面白いあり方だし参考になる。

ゴトウさん自身は広島の人ではなく、山形から福岡の大学に行き、西表島経由で広島に落ち着いたらしい。ヲルガン座は6周年。

気付くと路面電車の終電は終わっていて、駅前のゲストハウスまで30分ほど歩いて帰る。

広島ちょっと面白い。興味をもった。まだいろいろ観れてないところがあるので、また来たい。

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2017/2/28-3/7

日記2017

(途中)

2017.2.28

フランクフルト〜ミュンヘンミュンヘン・カンマーシュピーレで岡田利規作・演出『Nō Theatre』

 

2017.3.1-6

フランクフルト

 

2017.3.7

上海

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2017/2/20-27

日記2017

2017.2.20

メルボルンに時間通り到着。やっぱり電話が通じない。前回台湾に行った時もそうだた。全日武蔵小杉のソフトバンクに行って問題ないと確認してもらったのだが嘘だった。

アジアン・プロデューサーズ・プラットフォーム・キャンプ(APPキャンプ)の4年め。僕は1回目のソウル開催の時に参加している。今年はTPAM直後ということもあり、APPメンバーの中にはちょこちょこTPAMからそのままという人がいる。

(途中)

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2/12-19

日記2017

2017.2.12

朝から卓卓くんとお茶。彼がインドから帰国してからNYに発つまでに会いたいと思い連絡をとっていたがなかなか時間が合わず、前日のTPAMシンポの会場でたまたま鉢合わせて、ワンチャンスを得た。卓卓くんが今置かれている状況は非常に面白いと思う。楽しい時間だった。

横浜に移動して、YCCでTPAMのオープニングに出席。色々な方と会う。今後数年スコットランドが日本との関係を重視しているらしい。

アゴラに移動して、おきなわ芸術文化の箱の皆さんと合流。アゴラを案内、説明。

また横浜に移動して、KAATで恩田晃ディレクションゴッグタイ/センヤワ。深い恨みをお経に込めて歌うようなゴッグタイの、瞑想的な時間の後に、センヤワのぶっとびで大笑いした。

中華街で沖縄の皆さんと食事。

2017.2.13

朝から沖縄の皆さんを連れ回す。象の鼻、赤レンガ、ブリリア、STスポット、急な坂スタジオ、黄金町と。場所を見てもらって、人を紹介。

その後BankARTでタン・フクエンディレクションを観る。マッサージを受けながら、死生観みたいなことを質問されたり、中林と篠田のパフォーマンス。

KAATに移動し、沖縄の皆さんがアピチャッポンを観ている間、中村茜さんとJune Tanとちょっとだけお喋り。

その後、KAAT崎山さん、齋藤啓さん、樋口さん、OACTの皆さんという沖縄ゆかりの皆さんと山東で一杯やった。

 

2017.2.14

TPAMエクスチェンジのグループミーティングに参加。沖縄の皆さんも一コマプレゼン。
グループミーティングはTPAMの主要なプログラムとして定着した。2013年のTPAMで、ブースの廃止とグループミーティングの開設を提案してやって、翌年は植松侑子さんが頑張ってくれて、年々馴染んできた。基金が招聘したアジアのプレゼンター達にとっても、単に受け取るだけでなく自分たちもアピールできる場所としてうまくハマっているんだろうと思う。今年は欧州のプレゼンターも多く来ていて、非常に集まり方がよいと思った。アジア・ドラマトゥルク・ネットワークの併催も好影響。

TPAMという場がアジアにフォーカスするようになり、その実質として横浜にアジアのシーンが立ち上がるような場ができるとよいと思う。

その意味で来年度以降のTPAMに、TPAMフリンジへの更なる取り組みを提案していきたいと思う。昨年デュッセルドルフでTanzmesseに参加した時、TPAMはわりとよくやっているのではないかと感じ、丸岡さんと話した時にも、そこで見解が一致したのでもある。

エクスチェンジが終わった後、なんとなく流れで下山さんと、一緒にいたサーカス関係の方、カンボジアのアーティストと一緒に呑んだ。カンボジアの話、サーカスの話どちらも興味深かった。

夜は、横浜美術館で『台北ノート』のゲネプロを観せてもらって、その後さらに、沖縄の皆さん、千夏さんと呑んだ。

 

2017.2.15

この日もTPAMエクスチェンジでおきなわの皆さん1コマ。で沖縄に帰られた。

夕方からTPAMフリンジを3本。

まずは西原尚×つむぎね。西原さんのパフォーマンスのおりんを釣り竿の先につけて鳴らして振り回すの真似したい。

夜は、マレーシアの舞踊の公演を観て、マカオのエリックがやっている公演へ。
マレーシアのほうは、伝統の舞踊を基本に映像投影したりしてみました、という感じのだったのだけど、「日本の皆さんのためのスペシャルプログラム」として踊られた演目で、映像は、富士山の手前に東寺の五重塔、音楽は沖縄民謡が重ねられた時間があって、身が捩れた。どうしたらいいかわからなかった。で、その後、こういう勘違いを「間違っている」と正すのは簡単なのだけど、私たちだって「正しく」マレーシアや他の国のことを理解して何かを創ることはなかなかできないとすれば、こういう「勘違い」をどういうふうに正すことができるだろうか、ということについてけっこうマジメに考えた。結論はないがまた考えてみたい。
マカオのほうが行われた会場The Caveがとてもいい空間だったので、帰った沖縄の皆さんにラインで写真を送ったりした。石神夏希さんが関わってらっしゃるらしい。石神さんにも初めてご挨拶できた。

 

2017.2.16

この数日泊めていただいていた、島貫さんのご実家の近くに曹洞宗大本山総持寺があったので、朝ちょっと寄り道。一応ウチは曹洞宗。あと鶴見の駅周りの公立施設なども少々ぶらついた。

ON-PAMの報告会と総会があった。

夜、TPAMフリンジ、ヌトミックの不完全なゲネプロを拝見した(役者の一人が病欠で代役だった)。まだいろいろ余地はあるが、最終的にはやりたいこともよくわかった。
しかし何より気になったのは、これも不完全なゲネプロとはいえ、なんとなく照明によってパフォーマンスが演劇臭く、古臭く見えてしまうこと。電球の照明を当てるとそうみえる、というくらいにこちらの感じ方が変わってしまっているのかもしれない。だからといってLEDにすればいいという問題でもない。プロジェクターの光が重なる場合もよくあるし。照明を超越的にではなく捉える視点が必要なのではないか。

 

2017.2.17

ON-PAMのシンポジウムが2件あった。Europe Dancehouce Networkの話、アジアおよび国内のネットワークに非常に示唆を与えるものだった。

三島憲一先生とON-PAMのメンバー何人かで歓談したあと、夜は長者スタジオで、シルクロード能楽会を観た。映像で過去作を見せつつ、生での演奏とダンス。本公演が観てみたいと思った。日本をシルクロードの終点として捉えて、遡るようにアジア〜ユーラシア大陸に手を伸ばしていくという視点はとても興味深い。耳を澄ますと、シルクロードの楽器の音が聞こえてくるような。

 

2017.2.18

Sさんと野毛でランチ。象の鼻テラスでスイッチ総研の展示をちょろっと見て、アジア・ドラマトゥルク・ネットワークのシンポジウムを聞き、その後、アイサ・ホクソンと余越保子さんのパフォーマンスを見た。

 

2017.2.19

蒲田の銭湯で洗濯したり風呂に入ったりして、羽田から北京経由でメルボルンへ。たまたま齋藤啓さんと同じフライトだった。

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2017/2/9-11

2017.2.9

アゴラで庭劇団ペニノ『ダークマスター』。この作品はペニノの常連の人たちによるものではなく、大阪のオーバルシアター、中立公平さんのプロデュースによるもの。関西圏から俳優をオーディションして、大阪で創作された再演版だ。しかしそんなことを多くの人は気にしないでペニノの作品として観るほどに、しっかりアンコがつまっている。そして、タニノさんの作品は気持ちが良い。堂々としている。舞台がそこにあり、俳優がそこにいる。やることだけをやっている。いろいろと「?」なこともあるのだけど、「演劇」の存在感と密度があるので、「?」もどうでもいいように思ってしまう。もうすっかりタニノさんの演劇を信頼した。

 

2017.2.10

明日からTPAMが始まるとなにもできなくなるので、ひたすらにデスクワークをしていた。最近は東京にいるとすっかりデニーズで仕事をするようになった。理由はWifiがあるからだ。この日は、新丸子のデニーズと、自由が丘の上島珈琲とデニーズで仕事をした。

 

2017.2.11

ワタリウム美術館でコンタクト・ゴンゾの展覧会を観て、千駄ヶ谷駅まで、建設中の新国立競技場のエリアを通りつつ歩いた。というか、ちょっと横道にそれて将棋会館にも寄った。将棋の駒の形のチョコがあったので、フランクフルトの将棋サークルの人たちに買った。2階にも上がってみた。小学5,6年の時、寒中休み(1月末)に父につれてきてもらったのがここだった。それ以来将棋会館には来たことあるけれど、2階にあがったことはなかったと思う。懐かしさが溢れ出た。子どもたちが沢山いて、引率してきたお母さんたちも沢山いた。ここに居た時自分も子供だったなと思った。

その後浅草橋に行ってタニノクロウ展。1室だけで、これまでの作品の特製の道具類が展示されていたり、タニノさんの画があったり、チラシがあったり、『アンダーグラウンド』の映像が流れていたりしたが、一番みどころだったのは、タニノさんのステートメントだった。冒頭には

私は演劇を通して何をしたいのか?
私は演劇を通して、演劇をしたい。

末尾には

これからも今までのように
途方もなく試行される数々とその成果が
演劇の枠を一つに漏れずに還元されることを
心から望んでいます

と書いてあった。

ここに書かなかった部分が、一番心を撃ったのだが、それは書かないでおく。

KAATに移動して、アトリウムで行われた小野寺修二さんとベトナムのコラボレーションを観る。WIP的な短いパフォーマンス。
その後、BankART NYKに行きTPAMのシンポジウム「批評的舞台芸術舞台芸術批評について — ポピュリズムの時代を迎えて」を聞いた。

桜井さんと内野さん(司会:武藤さん)のセッションについては、内野さんの新刊を軸にカリッとした議論を期待していたが、そうはならなかった。内野さんの「一旦、制度を構築しないと、カウンターもあり得ない」という筋には全く同意するが、一方で、武藤さんの「劇場における舞台芸術に対する疑い〜ダンスはいたるところにある〜が重要」という主張も、以前から大事だと思っている。この2つを対極においてガッチリ議論してもらっても面白かっただろうと思う。ただ、桜井さんの既定路線というか、ボヤキ/「建設」的議論へのためらいがそれを阻んだ。桜井さんという個人のことに注目すれば、理解できるのだけど、せっかくの場の中で、もったいなかった。藤原さんがいろいろ質問とかしていたが、ならば、時に粗い議論をしがちな藤原さんを中に入れたほうが、活性化したかもしれない。藤原さんがことわったのかもしれないが。

というか、そういう日本人のやりとりよりも、オンケンセンの話のほうがストレートに受け取れた。検閲や自己規制が広がっていくなかで、公的機関の中には「問題・葛藤・対立は〈存在〉せず」、政治的・実験的・挑発的なパフォーマンスは「地下に不可視化されていく〜ネット上からさえも〜」という話だ。既にそのような兆候がある。兆候があること自体を問題にしなければならない。これは、批評という以上に制作の話なので、批評的な制作者がパネリストでいたらよかったかもしれない。だけど、そうなったときにカウンターになれるのが、結局市村さんや高萩さんなのかな、とか思えてしまう状況。早く脱していかないと。世代交代。ひとごとだとは思っていない。

その後、長者町アートプラネットで贅沢貧乏を観た。初見。何の感想もない。僕に関わることなく時間が過ぎ去っていった。またしばらく時間を置いて、機会があれば観てみようと思う。

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