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メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/4/17-23

2017.4.17
朝から出勤。第二事務所(小禄ガスト)で仕事仕事仕事。

2017.4.18
朝から出勤して、夜はおきなわ芸術文化の箱の皆さんとミーティング

2017.4.19
振興会、第二事務所で仕事をして、その後、おもろまち駅前の公園で「夜のピクニック」(通称:夜ピク)。クラボ沖縄の皆さんが自主的に始めた公園呑み企画。今日は参加者がそれほど多くなかったようだけど、それでも楽しかった。21歳から、ヤバいTシャツ屋さん、キューソネコカミという名前のバンドを教えてもらうなど。

2017.4.20
スカイマークで羽田。デニーズで仕事をして、夜は渋谷でBouyの顔合わせ飲み会。

2017.4.21
朝からデニーズと上島珈琲で仕事をして、夜、ON-PAM懇親会。
9人のこじんまりした会になったが、それぞれの人から声が聞ける感じでとても有意義だった。

2017.4.22
ON-PAM第一回委員会。東京、京都、名古屋、鳥取、ニューヨークをネットで繋いで、SkypeGoogleドキュメントで情報交換しながら進める試みはうまくいったと思う。テーマは特に設けず、参加者からの声を拾い上げるキックオフ・ミーティングとして、ON-PAMとして制作者の状況としていろいろな問題点が挙げられた。
一つ興味深かったのは、京都からの話のなかで、地方創生相の「学芸員はガン」発言がどういう背景の中にあると見ることができるのか触れられたところ。曰く、オリンピック文化プログラムや、文化観光、文化産業などで何かをしようとしている東京の代理店の目線から見ると、二条城のような価値の高い史跡・文化施設に入り込めない。その壁となっているのが学芸員だと。この見立てでいけば、つまりこれは観光vs文化、産業vs学術・芸術的専門性でもあるけれども、東京の代理店と京都の文化専門家の間の「抗争」〜シマの取り合い〜であるとも見えるわけで、東西の文化の違い、東京的価値観と京都(あるいは地方)への侵略の如何ということもいえる。
夜はKAATで地点『忘れる日本人』を見て、三浦基さんたちと中華に行っておしゃべりをした。地点、充実している。

2017.4.23
青山スパイラルにライゾマティクスの展示を見に行って、VRのデモなどを体験。そうしたら、国際交流基金の稲田さんとばったり&ライゾマ制作の斉藤さんとも久々の再会。立ち話でいろいろ話す。
いろいろ広く活動しているライゾマだけれども、国内、東京でのガッツリとしたクリエーションはあまりないのだと聞いてびっくりした。美術と舞台芸術の間(メディアアート)、あるいは、産業と芸術の間にあるお金の回り方とのマッチングか何かそういう構造的な問題がある気がした。
八重洲地下街でQ市原さん、大吉さんと打合せして、成田から帰沖。
成田第三ターミナルのフードコートはなんか世界家族という感じがしてよい。

 

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2017/4/2-16

2017.4.2
10:00すぎに朝彦さんが来てくださって、銘苅ベースの2Fに置かせていただいていたソファ、机、ガステーブル、あみちゃんから貰った洗濯機、冷蔵庫を軽トラに積み、不動産屋へ。鍵をもらって、入居。湯船を交換しないといけないらしい。僕が不動産屋で手続きしている間に、その周辺を朝彦さんが散策しており、民家ゾーンをちょっと歩いたりした。その後実家から送ったゆうパックが3箱届き、この日の引越しは完了。
ガスはまだ開栓できてないけどもトラベルクッカーがある。

2017.4.3
8:30に出社。1年3ヶ月ぶりに働き始める。といいつつ、初日から部署はてんてこまいで、とりあえずわかることをどんどんやる。
夜は、旭橋で財団全体の歓送迎会。ホテルの宴会場でいろいろたべて、ひとこと挨拶して、退職or転属の方々を送り出す。

2017.4.4
広いほうのベランダにソファと机を出してみる。かなり居心地がよいので、このベランダをリビングにすることを決めた。よい。

2017.4.5
浦添市のてだこホールで、平成29年度沖縄文化芸術を支える環境形成推進事業の説明会・個別相談会。午前、午後の2回まわし。


2017.4.6
名護市中央公民館で昨日に引き続き説明会・個別相談会。加えて、名護周辺のチラシ置き行脚。

2017.4.7
仕事休み。ガスを開け、自転車を買って、浦添市役所に住民登録に行き、警察署で免許証の住所変更をして郵便局で荷物受け取り。実家からゲンロン0。帰りにホームセンターに寄りベランダに置く机とかを見る。けど結局今日は買わず。
なんだか知らんが夜に冷蔵庫が冷えなくなる。せっかくガス空いて料理できるようになったのに。

2017.4.8
チャリで安謝橋まで行って、バスに乗り、コザへ。あしびなーで男性舞踊家公演を見る。2年前はコリンザの1Fが寂しかったが、今は図書館を作ろうとしているようだ。男性舞踊家公演は、素踊りが一番面白かった。
帰り際に角さんと話し込み、車に乗せてもらっててだこホール辺りまでのせていただく。が、そこからが渋滞で全然バスとか来ないので、タクシーを拾って安謝橋まで戻り、おもろまちで樋口さん、根本さん、潤さんと会食。
企業価値についての話をふむふむと聞いた。アナリストがはかるそれを意識して企業の事業も行われている。資本主義社会の現在はそういうことになったいる。
冷蔵庫、なんかしらんが冷え始める。新しく買いそうなところだったので助かった。

2017.4.9
10:00からブエノスアイレスの神里くんとLINEで喋る。15時頃まで。予想はしていたが、長くなった。
原稿が終わらない。なかなか難しい。

2017.4.10
仕事して、第二事務所にうつり、原稿ということ。

2017.4.11
仕事後、いゆじで、泰球さん、喜舎場さん、ひーろーさんと呑む。いゆじのマスターはあいかわらずいろいろと注文が多い笑。

2017.4.12
夕方から、おきなわ芸術文化の箱の皆さんとミーティング。振興会に申請する事業および他の様々な予定について話す。そして呑む。

2017.4.13
午前中休み。午後非常に仕事が捗る。8:30出勤のときはやっぱりどっかの時間にしわ寄せがきてるかもな。午前にゆっくり出勤できる日を増やしたいなと。
夕方ようやく原稿を出し終わる。
夜、沖縄に来ている尋也さんに銘苅ベースを見せ、二号線内間店で呑む。なかなかこの居酒屋面白い。
アメリカの北朝鮮への動きが気になる。

2017.4.14
午後休み。4/22にあるON-PAM委員会のことをようやく考え始める。
夜、かんなさん、祥子さんと、あだん本店。
その後、国際通りで吉濱くんがやってたDJイベントに行く。
帰宅後ブエノスアイレスの神里くんと再度LINEでおしゃべりをする。

2017.4.15
ON-PAM委員会のことでいろいろする。ひとしきりやって、チャリで新都心のサンエーに行き、水着、ゴーグル、キャップを買い、ジスタス浦添のプールに行く。十数年ぶりのプール。泳ぐ。最初の25m泳いでるところで腕がピキッとした・・。でも水泳以外と楽しいので、これからも通おうと思う。

2017.4.16
午前中、ベランダリビングにてゲンロン0を読み終わる。非常に面白かった。
昼過ぎ、ひめゆり同窓会館へ。初めて中を見せていただく。非常にいい物件。ここをつかってどんなことができるだろう。とてもいい事例だと思うので生かしていきたい。
帰り際に沖縄県立美術館・博物館に寄り、「沖縄の地図」展、山元恵一展、真喜志勉展を見る。

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2017/3/26-4/1

2017.3.26

実家にいるときはもう当たり前になったが、朝晩の飯を母とつくり父母と食べ、それ以外の時間はおもにデニーズに行って仕事をしていた。空間現代の野口くんへのインタビューを仕上げた。

スマホ通信制限になってしまい、家のWifiにもなぜか入れないので、デニーズが最後の砦という感じ。

 

2017.3.27

前日とだいたい同じ。

年度末で、プリントした請求書に捺印し、スキャンしてメールで先に送ってほしいという頼みをうける。プリントもスキャンも、そしてWifiも飛んでいるセブンイレブンは最強だ。しかも、アプリを入れれば、USBメモリとかなくてもスマホとデータのやりとりができる。
他のコンビニにもWifiが飛んでるようだ。日本のコンビニは、というか日本はコンビニが街の重要な機能を担っていると感じる。そういうふうに街を見てみるとまた違って見えてくる社会である。

 

2017.3.28

父母とお墓に行った。お彼岸の直前にうちの集落の人の息子が亡くなって葬儀などあったため、お彼岸の期間中に行くのをあきらめて、僕が居る時に一緒にいこうということになったらしい。お彼岸の時期にお墓に行くのは久しぶり。

いままで先祖のお墓に区別なんてついてなかったのだけど、この年末年始以降いろんな話を聞くことがあり、なんか今年はそれぞれを確かめて、祖父母より上の代の人たちのお墓も区別できるようになった。父の解説も受けつつ。

 

2017.3.29

郵便局で引越し荷物を3箱だけ送り出し、塩尻駅から新宿駅

といいつつ、東京に来てもデニーズ。デニーズでずっと仕事をしていた。

 

2017.3.30

ON-PAMの理事会。今年は委員会室長を担うことになったので、ON−PAMを主体的にひっぱらないといけない。やる気はある。

 

2017.3.31

 

2017.4.1

新宿西武で川崎さんと打合せ。ノープランかつノーアイデアで打合せに臨んだが、2時間話したらなんか大丈夫なんじゃないかなぁという気分になった。

それから羽田に移動して、沖縄へ。いよいよ新生活、というようなところだが、実際のところまた東京も来るし、そもそも戻るようなものでもあるし、新しい生活という感じはしない。むしろ、旅の続き感が強い。

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2017/3/22-25

2017.3.22

那覇から羽田に飛び、そのまま二子玉川のクリニックへ行って、健康診断。

 

2017.3.23

午後、PARCに行って、丸岡さん、眞鍋くんとTPAMに関するミーティング。

その後、恵比寿駅前のサンマルクカフェの喫煙室で仕事をしていたが、めちゃくちゃ臭くなっちゃって閉口。

 

2017.3.24

二子玉川のクリニックで健康診断の診断書を受取り、立川からあずさに乗って塩尻。市役所で住民票と身分証明書をとってから帰宅。

 

2017.3.25

実家に帰ると夜が早くなるので、朝からデニーズに行ってみる。朝のコミュニティができていた。お互い朝ここで会うみたいな人たちが挨拶して一緒にモーニングを食べている。

父の印鑑証明を市役所に取りに行き、郵便局で家の契約書類と、文化振興会への提出書類を発送。

 

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2017/3/15-21

2017.3.15

広島空港からANA那覇空港。マイルを使って。

銘苅ベースについたら、下山さんと安和さんたちがりっかりっかフェスタの打合せ中だったので、待ち時間にとなりのたたき場で、翌日〆切の1200字小論文(沖縄県文化振興会に出すやつ)を書く。なんかピンと来なくて書きあぐねていたがようやくラインが見えた。

おきなわ芸術文化の箱の皆さんと打合せ。劇場のことについていろいろと喋った。

 

2017.3.16

朝起きて、小論文の直しをして、職務経歴書をアップデートし、履歴書を書く。

久々のゴカルナでランチをしてから、文化振興会の事務所に応募書類を持ち込み提出。

小禄のガストで原稿仕事。

夜に初めてトラベルマルチクッカーを使ってローソンの冷凍つけ麺を食った。

 

2017.3.17

起きて、インターネットで部屋探し。不動産屋に電話して、現地集合で内見。問題ないのでほぼ決めた。

午後、北海道演劇財団の平田さん、ハムプロジェクトのすがのさん、天野さんと面会。札幌の話を改めてうかがって、平田さんはやっぱりすごいなと思った。

 

2017.3.18

1日ほぼ籠もって仕事をしていた。

 

2017.3.19

平成28年度沖縄文化活性化・創造発信支援事業の事業報告会に行った。いろんな方と再会。

懇親会で比嘉豊光さんから「ぬじゅん」という写真雑誌を貰う。墜落沈没したオスプレイの海中写真。すごい。

 

2017.3.20

1日ほぼ籠もって仕事をしていた。

APPキャンプ・メルボルンの報告を〆切1週間余遅れで提出。

 私は2014年、ソウルでのAPPキャンプ以来、3年ぶりの参加だった。前回参加してアジアのプロデューサーたちと個人的に関係がつくれたことは自分自身の海外への姿勢を変える画期となったので、この間不参加だったことを残念に思っていた。
 とはいえ正直に言うと、メルボルンに着くまで、自分の仕事の領域や「アジアのプラットホーム」であるAPPにオーストラリアがどんな意味合いをもつのか、イメージを結べておらず、どことなくモチベーションに曖昧さを残していた。結果的には思った以上に得るものが多い1週間となった。
 オーストラリアは、イギリスや欧米「ではない」西洋文化の国である、その一方で、先住民との共生共存の課題を抱えている。アイデンティティ、そして国際的あるいは地政学的な自らの位置を探り続けてきたオーストラリアの歩みから、アジアの中の日本、あるいはアイヌや沖縄との関係など、自分が普段見過ごしている点が繰り返し意識された。
 そして何より印象深かったのは、先住民の芸術活動とその考え方である。とりわけ期間中何人かの発言で聞いた「文化に参加する」(participate in culture)から「文化を通して形づくる」(shape through culture)へ、といったフレーズは、私に深い示唆を与えた。舞台の上に作品を創り、公演という場をプロデュースし、客席に観客の参加を得るというようなあり方(だけ)で、果たして私たちの仕事は事足りているのか。既存の芸術・文化のあり方を保持することで、却って現代社会の中でのポテンシャルを低く見積もっているのではないか。日頃抱いているそんな疑問に対して、取り組む上でのヒントを与えてくれる。
 このフレーズの元を辿ると、先住民がもつ世界認識にまで遡ることができる。「すべての事は今も創られている。プロセスの上にある」・・こうした見方は、過去から現在・未来へと線形の時間を仮定して、前後を分け、始点と終点を定め、逆算したり結果から評価を加えたりするような見方~私たちの仕事の前提~に根本から問いを投げかけるものである。
 また今回、韓国のAPPメンバー1人が「ブラック・テント」運動中で不参加となったこともあり、特別に検閲について議論するセッションが行われた。国・地域を越えてそれぞれの経験と観測を基に情報を交換し、議論した。国際的なプラットフォームの重要性と意義を改めて実感するに十分なものだった。
 APPキャンプが含まれていたフェスティバル「ASIA TOPA」の「XO STATE」という企画で、東アジア~東南アジアの様々な地域のパフォーマンスと出逢うことができたのも収穫だった。細かく見れば各地域の伝統文化や現在の社会、西洋との距離感をそれぞれのあり方で反映しているともいえるだろうが、俯瞰してみればほとんどバラバラだった。何を面白がり何をつまらないとみるか、そしてそれは何故か、ぐるぐる迷いが止まらなかった。面白い。アジアという括り自体まだまだぜんぜんわからない、とちょっと怖くも感じたことを、よく覚えておきたいと思う。

 

2017.3.21

沖縄県文化振興会の採用面接。夕方採用の連絡が来る。

金曜日に内見した家の申込書をFAX。

 

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2017/3/8-14

2017.3.8

東京芸術劇場で『なむはむだはむ』を観た。子どもがかいたことばをもとに、岩井さん、森山未來さん、前野健太さんがコラボレーションして創作というもの。バックグラウンドが違う人達がコラボレーションしたものとしてとても緊密なものになっていて感心しながらみていた。
また同時に、これは舞台の評価とは関係なく、平和だな・・と、世界にいろいろとギザギザしたことがあるけど平和だなとも、観ながら思っていた。なんだかそのことが奇異に映る瞬間がたまに、ふいに、訪れた。単純に前日まで2週間外国に行っていただけなのだけど、自分の身体にはそのギザギザの跡があって、お風呂でお湯がしみる、みたいな感じがした。

そのあと実家に帰った。

 

2017.3.9

塩尻市の複合交流施設「えんぱーく」の中にあるハローワークに行き、沖縄県文化振興会の求人への応募の紹介状を出してもらった。

あとはひたすらデニーズで仕事をしていた。

夕飯のときだったか、父が正月の時みたいになんか書類を出してきた。曽祖父篤恵の弟・政彦について、祖母の13回忌の時に父のきょうだいで話題になったらしい。政彦は陸軍の研究所にいて、ミサイルかなんか砲弾の兵器の開発で功績があるらしい。所長にもなって、ウィキペディアにも名前が載っていた。政彦の開発した弾は硫黄島の戦いでも使われた。ググったところその弾が今、靖国神社遊就館にあるらしい。今度行ってみてみたいと思った。

 

2017.3.10

朝しなので塩尻を出発して、京都へ。京都駅であごうさんと合流したら、蔭山さんもいて、あごうさんたちが準備している劇場の物件へ。そのあと、流の關さんも合流して打合せ。

その後、坪池さんと合流して、白河通りの外で空間現代・野口順哉くんにインタビュー。

夜は、アンダースローで地点の『桜の園』を観た。

 

2017.3.11

昼からアンダースローで三浦基さんのインタビュー。その後しばらく仕事をして、外でライブ。テンテンコ、伊東篤宏さん、空間現代、KOPYが出演。ライブも良かったし、終わったあと2階の事務所に移っての手料理懇親会もよかった。愉しい場をつくっているな。

震災から6年。

 

2017.3.12

ひたすら仕事をしていた。

深夜バスで広島へ。

 

2017.3.13

早朝に広島・八丁堀に到着し、少しブラブラしてから、呉へ。

呉市海事博物館(大和ミュージアム)が素晴らしかった。呉という街自体が、海軍そして軍艦や潜水艦の造船で発展してきた街であり、戦後の歩み〜軍港の転用、朝鮮戦争での特需、等々〜も含めてきちんと調べて、右翼左翼どちらからも受け取れるような線できちんと展示されていた。日本の近代史を実感をもって感じられる場所だった。広島は世界の人が知っているだろうけど、呉のことを国内でも今どのくらいの人が知っているのだろうか。
大和ミュージアムは海外の人たちにとっても観光地になりうる博物館。『この世界の片隅に』が海外でも観られるようになったら、来る人も増えるんじゃないかな。
この博物館の設置においては、当時の呉市長がかなり努力をしたようだ。そういう本を見つけたので今度読んでみたい。

その後、呉の港のなかを周遊する船にのって、海上自衛隊の艦船、潜水艦を海からみるツアーに参加し、海上自衛隊の資料館にもいった。海上自衛隊の資料館はおもに、戦後の機雷撤去にどれだけ自衛隊が頑張ってきたのかが展示されていた。

日本の近現代を酸いも甘いも受け取る場所として呉は秀逸。小倉もこのくらいしたらいいんじゃないかと思う。福岡市の博物館はよいので、そのくらいやったらいいと思う。

ここまでで昼。

広島に戻り、原爆ドーム平和記念公園、平和記念資料館へ。資料館の密度は、それほど高くはなかった。それでも原爆の被害についてを概観して感じるには十分。

今更ながらわかった。『東京ノート』の劇場での上演の時、舞台美術でワイヤーのついた球体がいくつも吊られていて、その一つが赤い球なのだが、これは、この平和記念資料館のジオラマ展示にある、原爆の火の玉の引用なのだ。

今回半分無理矢理広島を訪れたのは、昨年1年欧州をいろいろ廻って、産業博物館や科学博物館、アウシュビッツみたいなところも訪れて、ヒロシマ、がまあいろんなところで展示されているのを観てきたのだけど、自分は広島の街をきちんとみたことがないという恥ずかしさから。例えばベルンのアインシュタイン博物館は、アインシュタインの人生を追う博物館でしっかり広島のスペースをとって展示していた。僕はそこに広島のことが展示されているなんてちっとも想定せずに行って、食らったのだった。

やっと観た、という感じ。

次にアステールプラザに行って、演劇を担当されている金沢さんにご挨拶、広島での取り組みについて、ちょろちょろ聞く。

その後、横川へ。横川シネマほかをぶらぶら歩いて回る。「かもめのばーばー」という喫茶店で小さなギャラリー展示が行われていて、そこのおばさんに教えてもらってロペズというお好み焼き屋にも行った。横川はなかなか面白い。

宿にチェックインし、その近くにあった広島つけ麺の店「ひろ」にも行った。広島つけ麺って今回来るまでまったくしらなかったけど、これは僕の好みにジャストミート。今年の夏は自分でタレをつくったりしてちょいちょい食べようと思う。

 めっちゃ濃い1日だった。

 

2017.3.14

朝、岩盤浴。この宿を選んだ理由がそれだったので。・・癒えた。長い時間あるいは度重なるフライトの疲労は岩盤浴でないと癒えないところがある気がする。

平和記念資料館で被爆体験伝承者の方による講話を聞きに行く。

この被爆体験伝承者というのは、広島市が5年前くらいからやっている制度だそうで、この日の回を担当されていたのは、第二期を受講されたという久保田さんという女性。いろいろと勉強して、さらに被爆体験者の方に直接お話をきいて、それを来場者に対して語る。久保田さんは広島出身でいまも在住。専業主婦をしていたけど小さい頃から、周りに被爆体験者が居たには居たが、今まであまり自分自身が考えてこなかったと感じて、伝承者をやろうと思い立ったのだという。

久保田さんが被爆体験者の兒玉さんの経験について語ってくださった。この回の参加者は僕1人だけ(いつもは10人くらいは居るらしい)。ホワイトボードに貼られた地図に場所を示したりしながらも、基本久保田さんの語りだけというシンプルなものだった。でもとても想像をかきたてられる話し方をしておられて、とてもよかった。十分「レクチャーパフォーマンス」だった。

一人の体験を淡々と順を追って、周囲の状況もわかるように語っていくことは、それだけで十分ドラマチックだ。自然と、この先どうなるんだろう、とドキドキしてくる。

これを体験した本人が語る事実性ももちろん貴重なのだが、聞いた話を自分の言葉にして語る営みには、また別の貴重さがあると思う。前々日のインタビューで三浦基さんは、演劇の言葉の公共性はそれが誰の所有物でもないことから出てくる、という趣旨の話をしていたが、被爆者ではない伝承者が被爆体験を語ることは、体験と言葉をだんだん公共のものにしていくことなのだと思う。取り組む人は誰でもよい。自分にその必然性を感じた人がきちんと取り組んで伝えていく。被爆者の方々が亡くなっても、その子供世代孫世代が亡くなっても、この体験は語り継いでいく必要があるし価値がある。

久保田さんの講話が終わって、いろいろと質問していると、次のコマを担当する山岡さんという女性が入ってきて準備を始めた。僕が次の時間には出られないことを告げるとそこから駆け足で山岡さんの講話の内容も見せてくれた。パワポを駆使して、凝ったアニメーションまでしながら、原爆の実相や現在までの核兵器の有り様までについて語る。久保田さんのシンプルなものとは全然違う。

山岡さんは英語の講話も担当しているとのこと。海外の人たちはどんどん質問をぶつけてくるので、典型的な質問に関しては答えられるように英語のカンペノートを用意している。答えられない質問が出てくると、それについて勉強する。ともかく勉強。英語も7年前から勉強し始めた。また、中高生に話すこともあり、東京の高校生などになるとかなり専門的なことまで質問してきて、どのくらい勉強しているか値踏みをされる。もしきちんと答えられないと、その後の話を真剣に聞いてもらえなくなるのだという。だからいつも勉強。その姿勢に頭が下がるし、自分はどうだろうかと問う。

この伝承者の講話は、青年団の河村くん(広島出身)が教えてくれた。教えてもらわなかったら行かなかっただろうと思うので大変感謝している。

沖縄でもひめゆりの体験の語り継ぎが課題として認識されている。この取組みの全体がとても勉強になった。

ここまでで昼。

ここから確定申告の書類をアレして郵送。そして宮島へ。

厳島神社への道すがら「牡蠣カレーぱん」を食べる。おれも前日「かもめのばーばー」の方に教えてもらった。

平家が重んじた神社。もともと宮島に対する信仰があり、推古天皇の頃から神社としての記録がある。河村くんの話では、宮島にはお墓をつくらず、対岸の本州島にお墓をつくっていたのだとか。ある意味、こうした離島を神の島として信仰するというのは、久高島や大神島なんかとも通じるのではないかと思う。そういう、古代を感じさせる場所だ。

呉もそうだけど、このあたりの西(東アジア)との繋がりを今まで意識したことがあまりなかった。日宋貿易を促進していた平家としては、ここを中心に京都の朝廷をもっとアクティブに国際的にしたかったのかもしれない。

ちょうど時間的に干潮で、歩いて鳥居まで行き、ふっとい柱にペチャペチャさわったりした。次回は満潮のときに来てみたい。

広島に戻り、ゲストハウスにチェックインして、広島駅で夕飯(尾道ラーメン)。駅の2階のお好み焼きのれん街みたいになってるところの様は、なんかとても大阪を思い起こさせた。

その後、十日市の音楽喫茶ヲルガン座へ。金沢さんに教えてもらった。ビル一棟が「十日町アパート」という民間のアートスペースみたいになっている。ヲルガン座を主宰しているゴトウイズミさんは、アコーディオンをひきながら歌う活動をしている。この日は、大阪から来た方と、ヲルガン座の「アコーディオン部」の部員の方とゴトウさんの3人によるライブがあった。大阪の方は、リュクサンブール公園というユニットをやっていて、僕はそれを2013年だったか、小豆島坂手港のeiカフェで、ままごとと一緒に観た(遅れて行ったため、この日のライブは観れなかった)。

ヲルガン座には複数の「部活」があり、ヲルガン座で地元の一般の人が集って練習したり発表したりしているらしい。とても面白いあり方だし参考になる。

ゴトウさん自身は広島の人ではなく、山形から福岡の大学に行き、西表島経由で広島に落ち着いたらしい。ヲルガン座は6周年。

気付くと路面電車の終電は終わっていて、駅前のゲストハウスまで30分ほど歩いて帰る。

広島ちょっと面白い。興味をもった。まだいろいろ観れてないところがあるので、また来たい。

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2017/2/28-3/7

(途中)

2017.2.28

フランクフルト〜ミュンヘンミュンヘン・カンマーシュピーレで岡田利規作・演出『Nō Theatre』

 

2017.3.1-6

フランクフルト

 

2017.3.7

上海

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