メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/1/11〜31

2017.1.11

那覇に移動。(一社)おきなわ芸術文化の箱の皆さんと合流して、7月オープン予定の黒板劇場の物件を視察。元黒板工場だそうだ。井戸もある。とてもいいような気がする。そこから夜までロックオンで打合せ。積もる話・・まとまらず。

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2017.1.12

午前中に(公財)沖縄県文化振興会のオフィスを訪問。こちらでもいろいろと積もる話。午後はまたおきなわ芸術文化の箱の打合せ。夜は、久しぶりの串焼きあだんで、ひめゆり同窓会館関係の皆さんと飲みーティング。

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2017.1.13

午前中にまた文化振興会のオフィスへ。その後、愛用していた岩盤浴の「うるわし湯」に行ったら、閉店していた。。

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調べてみたら県庁前のホテルに立ち寄りできるところがあったので、行ってみたら、「うるわし湯」ほとんどまるきりコピーしたような感じで、キレイ。100円やすいし。客はこっちのほうがつくだろうな、と思ったけど、お風呂も入れたり、岩盤浴の効き方的に、うるわし湯のほうがよかったな、とか思った。

夕方、青森から畑澤聖悟さん、工藤千夏さんが到着して、『いっとーばい』の稽古。会場となる宮城公民館での稽古、終わって銘苅ベースにうつって打合せ。演出がガラリと変わることに。

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2017.1.14

午後から、畑澤聖悟さんの高校生ワークショップ。どうも体調が悪い。どんどん悪くなるのを我慢しながら見学。終了後、『いっとーばい』の皆さんに挨拶だけして、空港へ。隣2席が空いていたので寝転がってフライト中は横になっていた。夜に風邪のピークを迎える・・

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2017.1.15

寝るしか無い状況。予定をキャンセルしてともかく寝る。翌日の予定をなんとかこなさねば・・。

 

2017.1.16

午後桜美林で授業も、風邪が治りきらずまったく調子がでない。学生にも申し訳ない感じで、喋っていたものの、空回り感否めず。とはいえ、体調は上向いた。夜、イメージフォーラム高嶺剛監督『変魚路』を観る。こういう型破りさは久々に浴びた。

 

2017.1.17

新宿南口バスタ新宿に初めて行った。南口整備が進んでいる。福岡・天神のバスターミナルみたいになっていた。松本行きのバスに乗車。松本で、まつもと市民芸術館に勤めているTさんとお茶。昨年の大歌舞伎のことなどなどを聞く。松本の街、新しい店が出来てきてたり、なんとなく以前より良い雰囲気になってきてるような気もする。実家に帰宅。

 

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2017.1.18

入れていた予定がキャンセルになったので、近隣のデニーズ〜モスをはしごして仕事。実家の家にいると仕事ができない。寒いし・・

 

2017.1.19

前日とほぼ同じ。

 

2017.1.20

Iさんの車に乗せてもらって松本へ。ランチを食べながら、いろいろ情報交換。長野県の状況など。終わった後、浅間温泉に行ってひとっ風呂。

 

2017.1.21

あずさで上京し、池袋でジエン社観劇。初見。なんとなく評判を聞いていったのだったが、自分にはひっかかりがなかった。春風舎に移動して、ハチス企画。こちらも初見。新しいことにチャレンジした公演だったみたいだ。まだまだ改善の余地ありという感想。蜂巣さんと話す。

 

2017.1.22

アゴラで木ノ下歌舞伎。前半の白神のほうは、白神に切実な素材を当てたいという木ノ下くんの意気は感じたものの、うまくいっているようには思わなかった。白神がたまに見せるヤクザな部分というか、郊外育ちのやぶれかぶれさみたいなものが見えてくる方向とかだとどうだろうなと思った。後半のきたまりさんのほうは、ある種、等身大を上手に使って、古典の舞踊をすることと同時代のダンスであることをうまく両方やっていると思った。なかなか見ものだった。

泊めていただいている家で正月料理を作って振る舞った。

 

2017.1.23

桜美林の授業2回目。ちょっと自信を失っていたが、体調がいいだけで全然違う。時間の配分はあまりうまくなかったけどいろいろ喋れたし、学生に聞かせることもできた気がした。

夜は、プルヌスホールでOPALを観た。

 

2017.1.24

横浜で市原くんとランチ。互いの近況報告といくつかのアイディア。その後更に西進して、某宅を訪問。古い家で夕食をともに。ドイツでの経験を沢山喋った。相手によって喋ることの内容が変わるなぁ。

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2017.1.25

基本、デスクワークをしていた。捗ったりはかどらなかったり。

 

2017.1.26

夕方から、早稲田で岸本佳子さんと北千住の件で打合せ。そのまま早稲田大学の一室でD/Jカフェ。ドラマトゥルクをキーに集まっている会で、ドイツでの研修後に今考えていることを話した。ドイツのことというより、日本でどうしていくかのこと。長島さんに久しぶりにお目にかかる。「研修に行って、右に振れるか左に振れるかと思ってきたけど、どちらでもなく、グッときました」と言っていただけた。

 

2017.1.27

再度那覇へ。宮城公民館で、『いっとーばい』の通し稽古を観る。わりと出来てきている印象はある。畑澤さん、工藤さん、当山さん、皆まだまだどんどん演出を加えていく。

 

2017.1.28

上田から津村さんが来てくださり、黒板劇場の場所をご案内。その後宮城公民館に行って、シンポジウムの打合せ。最後のゲネプロは見ずに、津村さんとずっとお話ししていた。長野県の状況等々、ちょこちょこ意見の一致するところがある。

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15:00から『いっとーばい』試演会と「地域をつなぐ劇場、地域を越える演劇」シンポジウム。試演会は150人くらいいたのではないか。シンポジウムでは、今回の『いっとーばい』の作品の情報源の一つとなっていた著作を書かれた方が来場されており、発言をいただいた。こういうことが起きるというのは、企画をしたことの大きな成果だと思えた。

美栄橋の駅の近くにある月光荘といういかにも那覇な感じのゲストハウスに泊まってみた。

 

2017.1.29

午前中から、畑澤さん、工藤さんと『いっとーばい』の本番に向けた打合せ。その後、年末〜来年にかけて行われる渡辺源四郎商店とおきなわ芸術文化の箱の合同公演の状況確認。畑澤さん、工藤さんを見送ってから、おきなわ芸術文化の箱の来年度に関しての長いミーティング。だんだん骨格はみえてきたか、というところ。

安里にある別の岩盤浴に行ってみる。感じは荻窪のところと似て若干弱い気がしたが、ちゃんと効いていた感じもした。

桜坂劇場で『この世界の片隅に』を観た。ふむふむ。面白くみたが、終わったらゆいレールが終了していた。1時間弱かけて歩いて帰った。

 

2017.1.30

泊めていただいている部屋とおもろまちのガストとかでほとんど1日デスクワーク。ランチにとお気に入りのカレー屋「ゴカルナ」に行ったが、月曜休みだったっぽくて空いておらず、しょうがないので、県庁横の食堂。初めて「みそ汁」をたのむ。丼に盛られた具だくさんのみそ汁とご飯、だけ。でもなんか、実家でもおんなじような食事のことも多いような気もした笑。

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2017.1.31

前日とほぼ同じ。夜のサービスタイムを狙って、初めて「浦添の湯」に行く。海水の温泉らしいが、すぐに温まってなかなかよい。もし黒板劇場に旅公演で来る方たちがいたら、おすすめできると思った。歩いていける距離だし。

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2017/1/8〜1/10

2017.1.8

建設が止まっているという台北市立劇場の現場に寄り、近くの士林の街や市場を少し散策、北投で昼飯を食べて、鳳甲美術館へ。

龍山寺でもそうだったけど、こうした地場の文化と近代化の進んだ街なかの開きがこの後どのようになっていくのかな、と思う。日本ではどうなっているんだっけ、とも。

15:00からPortB 高山明さんの『北投ヘテロトピア』に参加。

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取り急ぎ美術館のほうの展示を一周していたら、温又柔さんがいらっしゃったので初めまして、のご挨拶。北投のツアーは温さんかたまに通訳してくださったのもあって、大変有意義だった。

明・清の台湾に対する消極さ、に対して、日本が植民地時代に行った近代化はかなり積極的。もちろん差別や暴力も伴っているし戦争があってこその部分はあるけれど、この時期に農業だけでなく工業の基盤をも築いてあったことで、戦後の台湾は他の地域に比べると、経済発展について考えることができたのではないかと思う(とはいえ国際金融政策などで平坦な、道でもないようだが)

北投の温泉はドイツ人が見つけて、日本人が積極的に開発した。公娼制度をしいて、慰安の場所とした。大文字の歴史の裏面にはりついた、手触りのあるプロジェクトだった。

日本が建てたもの、国民党が建てたものなどを、バイクタクシーで巡る。このバイクタクシーは、娼婦たちが乗ってきた。もうすぐ壊されるという建物は、娼婦たちの性病を検診する場所だった。

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東京ヘテロトピアにしても、北投ヘテロトピアにしても、大文字の歴史や現代の市場的な価値観によって、こうして消えていく存在を、ある物語とともに収録していくことに、とても意味がある。アジアでは、建築物は、たとえそれが永続を意図されていたとしても、しばしば仮設であり、上演だ。建物が消えて無くなった時、建物以上のものがなくなる。かつてその建物があった、という場所の何もなさ、遡れなさは、無くなってから思い知ると、とても強い抗えなさがある。そこに予め、文脈や物語を見つけておき、線を引いておき、想像によって遡ることを可能にしておくこと、想像への梯子を中空にむけて(想像的に)立てておくこと、がこのプロジェクトの魅力で、また現代の演劇といえる部分だと思う。

最後の訪問地、山の上の源泉から、一気に都市部の美術館に戻ってくる時間はとても感動した。あっという間に還ってきた、という感覚が、束の間日常から浮遊していたということを、反作用として教えた。

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2017.1.9

オリザさんと台北駅で待ち合わせ、昼食、その後『台北ノート』の稽古を見学させていただく。マチコさんの役の女優さんがとても魅力的。稽古が早く終わったので、夕食も。

台湾のこと、アジアのこと、2月の東京公演の関係でふたば未来学園高校まわりのことなどを話す。

最近オリザさんと話すような機会は、外国や沖縄などでが多い。

台北桃園空港を夜23:50発、羽田に4:00着という便で東京に戻る。

 

2017.1.10

羽田に着陸したところでメールをチェックしたら、翌日の予定がキャンセルになり、結局アゴラ劇場に行き、ふたば未来学園高校演劇部『数直線』の仕事などする。

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2016/12/27〜2017/1/7

2016.12.27

16:15羽田着でフランクフルトから帰国。帰国とは言うものの、帰ってきた、という感慨などは特になく、旅をしている感覚が続く。いつまで続く?(書いている今もまだ続いている)

バスで渋谷。アゴラ事務所にスーツケース2台を置かせてもらい、中目黒で会食。アーツカウンシル東京調査員で一緒だった面々。それぞれフィールドが違う人達からいろいろ情報を得る。長野県がアーツカウンシルをつくるための調査を行っているらしい。

道玄坂のカプセルで一泊。日本で最初にしたかったこと、大きい風呂に入ること。ここの風呂はわりと好き。

 

2016.12.28

国際交流基金アジアセンターへ。何人の方に「帰ってきたの」と笑顔で迎えていただく。1時間半ほど打合せ。

北千住で岸本さん、至さん、くま、村本さんと会う。中目黒で蓮沼くんと会い、そこにいた人たちと祐天寺のばんに。東京の飲み屋って感じでとてもいい店。新宿三丁目で制作者読書会の面々と呑み。この一年間にそれぞれに起きていたことを聞く。なかなかディープだった。

 

2016.12.29

平田家に慶子さんの弔問で伺うも、呼び鈴の故障で叶わず。新宿で三好さん、松井さん、新田さんとランチをして、更に新田さんと半分打合せのようなこと。2017年は台湾に通うつもり。再度平田家へいき、慶子さんに手を合わせ、香奈さんと短くおしゃべり。

アゴラからスーツケース2台を引きずって、17:00のあずさで帰省。父が軽トラで駅まで迎えに行きてくれる。

 

2016.12.30

正月の準備。松飾りづくり。

 

2016.12.31

正月の準備。松飾りと料理。

 

2017.1.1

新年。いつもの新年。「手伝う」から「リードする」に年々移行している。

 

2017.1.2

いつもの1月2日。姉夫婦が朝雑煮を食べに来て、おしゃべりして、箱根駅伝みたり、高校サッカー観たりした。

 

2017.1.3

8:09のあずさで東京。ON-PAM理事会。終わった後丸岡さん、橋本さん、藤原くんと少しだけ呑む。それぞれ、それぞれ。

 

2017.1.4

カフェを転々としながら仕事。夜『淵に立つ』を観た。

 

2017.1.5

夜、元アサヒ・アートスクエア運営委員で新年会。昨年4月の運営委員会終了時点で僕が日本にいなかったので。宮浦さんがナマのぼたん海老を札幌から直送で持ってきてくれこれが感動的に美味しかった。新川さんの家からの隅田川の眺望が素晴らしかった。

 

2017.1.6

11:45成田ー15:55台北桃園空港。クーリンチェ小劇場。王永宏氏と2年ぶりの再会。劇場を見せてもらうとともに、いろいろと環境について話す。クーリンチェ小劇場は市の26番目の文化施設だが、事業費はなく、貸館7割自主3割、貸館収入でスタッフも雇用している。植民地時代に日本が設置した交番の建物を劇場化し、創立者が市と交渉して貸し料無しとなっている。2〜3年に1度、これまでの業績と次の2,3年の計画を提案して運営の権利を得ている。再来年から改修に入るが、その間収入がなくなることについて現状ではなにも対策の提案はない。

国の発信(”プロパガンダ”)のための文化にはお金が出ているがこうした営みにはお金が出ない。そのあたりは日本も同じ、アジアに共通と言えるのかもしれない。国策としての公共芸術、相対的に自由な商業芸術、サポートがないコンテンポラリー。

新田さんの家に4泊泊めてもらう。

 

2017.1.7

華山文化創区、北山文化創区、国父紀念館、誠品書店、台北ビエンナーレ台北市立美術館)西門、龍山寺あたりを回る。

華山ではチームラボの展示があったので観た。わりとがっちりコンセプトが書いてあって、日本の絵画技法とインタラクティブメディアアートに関することが説明されたいた。それ自体はふむふむと読んだ。ただ、芸術的な実現がこれでよいのかというような感想を持つ。子供連れや若いカップルなどで多いに賑わっていた。

今年台湾に通おうと思っている。近くの外国のシーンを継続的にウォッチする中で、アジアの関係について考えていきたいというのが第一の目的。なにかいいアイディアを思いつけばと思っている。とりあえず、日本のシーンが外からみると閉じていて、簡単に行き来できる範囲のアジアの人たちにとって、アクセスしづらいものになっているということが現在見えている一つの課題である。そのあたりは前日王さんともよく話した。日本が閉じているのは勝手だが、アジアは華人達を中心にして勝手につながっていく。気がついたら誰からも見向きもされないエリアになっているかもしれない。数年後。

そもそも、日本の舞台芸術は、日本のことにしか関心をもっていないかのように思われる。あるいは欧米のこと。アジアの人たちから見て、日本はヨーロッパになりたがっているように見える、という声もある。

一方で台湾にいると思うのは、戦前の植民地時代、戦後を通じて、単にひどいことをした、資本的に侵略した、というだけでなく、台湾の人たちや社会に何らかの形で貢献もしてきたということが感じられることである。日本人が幸福を求めてきた姿は、全部ではないにしろ、アジアの人たちの見本にもなっている。もちろん、近代以降の日本人にも、その意識はあったはず。一方で我々・・というかJapan as No.1 バブル以降の日本の認識は、日本に閉じている。日本=世界。日本の社会の中にいると、日本の社会のことしか自分にとって影響がないかのように勘違いをしがちである。そうして勝手に日本の中で自分を卑下して、日本の中の弱者に自分がなって、誰か他の人(や国)のせいにする、、という精神的傾向がないともいえない。そのようなことに対して、かつて、そして今頑張ってきた/いる日本人たちの頑張りに襟を正して、日本人との比較で卑下しているヒマがあったら、自分の位置を獲得すべく頑張るようなことでありたいものだと思う。そういうことに目をさますためにも、台湾というのは勉強になるし、自覚を促される場所であるように思う。

そして、日本に住んでいる人たちにその感覚を広く共有してもらうには、日本の中に、国際的な場所をつくることだろうと思う。特に近くの外国の人たちと触れ合う機会、一緒にものを考え作業をする機会を多くつくること。もはや日本には、自分を卑下している余裕はないし、もっと恵まれない環境でも笑顔で前向きにやっている人達がいる。その「現物」と出逢い、日本に住む人が自分の地図を更新するような機会を増やす。日本に住んでいる人の自覚がターゲットになる。

これには、海外に売り込む、という振る舞いばかりが先行して、対等に交換するという感覚が弱いことにつねづね疑問を持っているということももちろんある。自分たちの場所を本当の意味で良くしていこうというつもりで、海外の人と一緒にやっていくのでなければ、なにも残っていかない。そのアイディアを探るためには、日常的に、といえる次元で、外国のシーンと付き合うことが必要だろうと考えている。

 

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観た人の岡崎藝術座 2人目:阪根正行さん(元書店員/「アラザル」同人)[3]

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『隣人ジミーの不在』(2012)©富貴塚悠太

▶同一視と異端視の暴力
――ちょっと話が変わってきますけど『レッドと黒の膨張する半球体』や『隣人ジミーの不在』に関して言うと、やっぱりその、すごく「ナショナリティ」みたいなことを問題にしている感じはします。『レッドと黒』のときは要は、「移民」と「混血」ということがテーマとしてあって、それは神里くん自身が、DNA的に言ったら日本人の子供でしかないんだけれども、文化的に言ったら原風景がパラグアイで、そういう人生を送ってきた人が川崎の住民となり、東京と神奈川の雰囲気の中で自意識を形成してきた。その神里くんという人のアイデンティティの中ではある種の"混血"が起こってるというようなことがあって、それに対して、「『日本人』って言ったときの純血っぽさ」みたいなことが「当たり前でいいのか?当たり前じゃないよね?」ていう提示という意識が何かあったと思うし、その意識がまたちょっと違った形で『隣人ジミー』のときに、沖縄とか韓国とか、そういうことを取り上げることにつながっているようなことはあるんじゃないかなと。
阪根 だから『隣人ジミー』のときは、韓国にステイして「リハーサルの一部をソウルでやった」とか。
――らしいですね。
阪根 神里くんの中ではまだ韓国は触れたばかりで作品の中に入ってくるっていう段階じゃないかもしれないけど、ひとつ面白いのは、平田オリザさんも学生時代に韓国に留学していて、韓国の作品もつくってたりする。それから、東京デスロックの多田さんはこの数年毎年韓国に行って、韓国というのを受容した作品をつくっている。平田さんは社会とか政治とか文化の違いに焦点を当てていて、多田さんは純粋に韓国に触れて感じるもの、韓国の人から感じるポテンシャルを如何に作品に結実するか、みたいな感じがあるんだけど。
神里くんはまた違って、そっと触れて、触れた自分が変わってくるというか。今まで、南米だペルーだと言われていて、そっちとの行き来みたいなのはある程度あったけども、意外と隣国、韓国も台湾も行ったことなかったよ、行ってみてたら飛行機で1時間半とかそんなもんで行けんのかよ、って、その距離感っていうのが、彼の中で日本と南米とかいうそのレンジでもないところの異質性みたいな感じになってきている。問題意識としてはつながってるのかもしれないけど、作品としてはまた違う方向に行ってる感じもする。

神里くんは去年から今までに、ベルギー、ドイツ、台湾、韓国、中国を訪れている。このなかで中国は演劇の仕事とかではなく、ただ自分で思い立って旅行したようだ。実のところ僕がわかったようなことは語ることができないけれど、という前置きでいうと、やはり台湾、韓国の「近さ」と「違い」に触れて、自力で中国に旅に出たというのは、なにかあったんだろうなと思う。
わかったようなことはいえないが、つまり飛行機で2,3時間もあれば行けるところに、おんなじような顔立ちをした異質な人がいる、という実感は、神里くん自身がもっているだろう「純血な日本」に対する異和感にとって、欧米との違いの実感よりも「比較可能な親密さ」があるのではないかと思われるから。

阪根 あと、ねじれてるっていうか複雑な場所性があって。神里くんがペルーだからハーフで顔が濃いのみたいなこと言われて(※註)、「違うんだよオヤジの家系が沖縄出身なんだよ」というときに、またペルーとは違った文脈での異質性がある。
――そうなんですよね。
阪根 僕もあんまり沖縄の問題は意識的じゃないんだけど、本屋に勤めていたときに、沖縄で育った人から聞いたんだけど、沖縄の人って、「本土」と「沖縄」って呼ぶらしいんですね。その、本州を「本土」って呼ぶ感覚ってやっぱないじゃないですか。
――ないですね。
阪根 だから沖縄の人から日本を見る目と、本州で育った人が沖縄を見る目ていうのはあきらかに違う。
――僕もそこはすごく大事だと思います。神里くんの作品が面白いと思う人がけっこういて、F/Tでやったりとか台湾に行ったりという場はできてるんだけど、まったく全然理解されている/できているとはいえない感じがする、という事態がなんなのか考えることにも繋がると思うんですが。さっきの「ペルー出身だからハーフで色黒なんだ」みたいな、短絡的な、それを言う人が「ペルー」というものに対して抱いてるイメージと神里くんいう人を簡単につなげて見ちゃう見方の暴力というか。本州の側から沖縄をみた時には無前提に「沖縄は日本の一部」だと思って「同じだ」っていう目線で見る一方で、沖縄の側から本州をみたら「それは異質なものだ、本土だ」って分けている、その食い違いみたいなこと。神里くん自身は、東京とか川崎で育ちでもあるから、東京的なデリカシー…チラシの言葉でいえば「神経質」っていう部分…も持っているから、東京に来た人とかのなかで「同じだ」っていう前提になんとなく立っちゃうんだけど、神里くんの側からみたら「同じだ」って見られることの被害というのを感じてるのかなと思います。かといって神里くんが「異質だ」と見なしてほしいと思っているわけでもないだろうから、またややこしい。こういうズレは、僕自身が神里くんに対するときもあって、それで僕が神里くんのことをつかめないんじゃないかな、というふうに思います。
阪根 以前、僕が学生のときはハーフの人とかそんなに身近にいなかったと思うんだけど、最近は、会社行く途中にすれ違う中学生のなかにも黒人の子がいて、何ていうんだろう、日本の中学校の制服着てて、僕らがイメージしてる黒人の雰囲気とは全然違って「日本のふつうの中学生」っていうナイーブな雰囲気しかしないような黒人の中学生が居たりする。そういうのを感じて「今はクラスに一人や二人はふつうにいるんだろうな」って思うときに「だろうな」てなってしまうのが、やっぱ「わからない」ということだよな、と。
――僕はなんか最近、なんでかよくはわからないけど、以前よりもアール・ブリュットとかアウトサイダー・アートとかいわれるものに関心がわいてきていて、その自分の変化・反応について思うのは、色とか画面構成とかかたちとか、自分だったらそもそも絶対にこういうふうな発想は生まれてこない、と感じるようなことを、見せてくれる可能性があるカテゴリーだということですよね。つまり、世の中に対して、自分とは全然違う見え方、全然違う表現手段でできてくる、という部分で興味が高まってるのかなと。
ちょっと乱暴だけど、言ってしまえば僕が神里くんに対して感じてることもそういうことに近いと思う。はっきりとつかめてるわけではなくて、予感や予知みたいな感じで直観で捉えてる神里くんの魅力ということなんですが。
昨今神里くんもちょいちょい絵を書いたりとかしてて、『昏睡』のときにもいくつか絵を描いてくれて、それをチラシに使ったんです。そしたらなんか、フォトショップで描かれた絵で「おはぎの飛行船」とかが飛んでるわけです(笑)。「なんだこれ?!」っていう感じなんだけど。そのおはぎの飛行船みたいなのとか、神里くんの色使いとか、僕にとってわからないこと、自分ではやらないことが、でも神里くんの感覚としてはスッと出てきてるってことが、今はとても興味深いし、僕にとって面白いと思う作品を創ってくれる可能性がある人だなっていう感じがする。

f:id:nomuramss:20130531235956j:plain(『昏睡』のときに神里雄大が描いた絵)

世の中に対して今自分がしているのとは全然違う見方をしたいという欲がなんだか高まっていて、基本自分の発想じゃあんまり満足じゃなくて、人の発想や人からの刺激をうけて出てきたような、思いもよらないアイディアとか、想定外の場所に連れて行かれるみたいなことを待望している感じがある。このインタビューだって、自分独りで考えれば時間もかからないだろうに、わざわざやろうというモチベーションが生まれるのは、たぶんそのへんにある。とりあえず神里くんの作品を観ていて、自分とはできるだけ違うふうに観ていたり、違うふうに演劇に触れていたりしてる人と話したいと思ったのだ。直観で。

阪根 最近ちょっと僕の中で「日本人で誰がノーベル文学賞とる?」みたいな興味があって、「村上春樹がとるかとらないか」というのが一般的なんですけど、多和田葉子がとっちゃうんじゃないかな、とか考えてる。多和田さんがやってることというのは、どうなるかわからないところがある。日本から飛び出して、母国語の外に出てドイツ語という言葉で文学にアプローチするということをやってて、そこで生まれてくるものがなんなんだろう? というか。ある意味神里くんと近いかもしれないけど、そこで何ができてくるかというのが確定しないところがあって、でもそこで作品をつくってできたものによって初めて生まれてくるものは絶対あるし、それが出てきた時にノーベル賞を与えましょうという話になるかもしれない、と。
――そのライン面白いですね。神里くんと多和田葉子さん
阪根 去年『ファンファーレ』(脚本・演出:柴幸男[ままごと]/音楽・演出:三浦康嗣[□□□]/振付・演出:白神ももこ[モモンガ・コンプレックス])を観た時に、コンテクストの違う俳優・出演者が出てきてて、おそらく彼らのコンテクストのままでいたら出てこなかったものがうまく引き出されていてよかったなーって。ただ、彼らのポテンシャルをいかに引き出すかという難しい問題はあるにせよ、めざすべきところがあるという点では、神里くんほど複雑じゃない。多和田さんとか神里くんの表現は、異質なもののなかに飛び込んで行くというか、本人のほうがダメになっちゃうかもしれないようなことだと思うので。
――より切実ですよね。言葉を喪うとかそういうレベルの可能性の実験かもしれない。
阪根 そうですね。一番こわいのはそういうのを突き詰めていくと、もうそこに住めなくなっちゃうかもしれないというか、倫理的な問題もあるし、自分でつくってる段階で辛くなっちゃうという危険性がある。
――そのストレンジャーぶりが、全然ストレンジャーっぽく見えてないというのが神里くんの特徴かもしれないですね…。神里くんの言葉を演じるのがいまのところ日本人の、神里くんのような背景を持っていない人がやるということが多いなかで、そのことによってこっちの観てる側が「自分と同じだ」っていう幻想をいだきやすくなっているというか、それで逆にわからなくなっちゃうみたいな。同じだと思ってたら、あれ、違う、みたいな。違うと思われたときに排除みたいな力が働く可能性がある。
阪根 近いうちに神里くんも多田さんみたいに韓国の俳優とやるかもしれない。そうしたら意外とスッと行くかもしれないし、行かないかもしれない。
――どっちなのか、日本人でやってる限りはわからないかもしれないですね。うまく引き出せてる、ていう事実も一方でありつつ。
阪根 意外と伝わるんだ、という話なのか、神里くんの中で意外とセーブしてる、という話なのか。
――本人はたぶん自分がストレンジャーだとは思ってないんじゃないかな。
阪根 自分では思ってないんだけど、そういうことをやっぱり言われちゃう。それに対して、とやかく言わずにとにかく「見ろ!感じろ!」みたいな(笑)。
――本人に言わせれば「それ現状でももうやってますよ」ていうだけの話かもしれないですけどね。

ここでしている「アイデンティティ」「ナショナリティ」みたいな話は、神里くんという個人を理解しようとすることにとって、取り扱い注意なことでもある。神里くんでなくてもこういうような背景をもった人は居るし、もっと希少な組み合わせで何らかの混血(クレオール)である人だっているし、それだけで個人を語ることはできない。
それでも一旦こういう話をしてみることは大事だと思った。
沖縄からみた本州の話にあるように、異質という認識が非対称に現れることがあるということ。
そして神里くんのつかみにくさを考えるときに加えて頭においておかなければいけないのは、そこに異質さだけじゃなくて同質さも同居してるということ。そのことによって「微差のナルシシズム」(他者との違いが小さければ小さいほど、その違いを肯定できない)みたいなことが発動して、簡単に否定しにかかってしまう…矯正あるいは強制が生じる…ということ。
僕がずっと自分自身の中で警戒しているのはこれだった。これに気づけたというか言葉を当てられたのは非常によかった。


※註)未来回路4.0/神里雄大インタビュー「揺らぎに留まること 〜言葉を演出する身体〜」
(聞き手 中川康雄)より

— もともと出身地がペルーなんですね。
神里 そうですね。けれども生まれがそうだというだけで、その場所の記憶は正直ないんですけどね。僕は川崎育ちなんですけど、川崎出身というよりペルー出身と言ったほうが目立つということで。婆ちゃんとか父親はペルーなんですけど、僕自身が育ったとかではないです。小学校の5、6年生のときに南米には住んでいた時期はあるんですが、パラグアイに。基本的には日本の教育を受けて育っています。父親が日系人なんですね。父親の家系が日系のペルー人なので、それなりに小さい頃からそういう南米のものだとか情報だとかに触れる機会は多かったです。
 ただ、なんて言うんですかね。その辺のことを説明するのが面倒くさいというか、複雑で。毎回、こういう話になるんですけど、みんな一番気にするのが「ハーフなのかどうか」とか。「血は日本人なのか」みたいなことを悪意なく聞いてくるんですね。結構そのことにうんざりもしています。最近は諦めが付きましたけど。うちは父親の家系が沖縄出身なんですよ。そういう意味でちょっと彫が深いというか、顔もそういう感じなんですけれど、それでペルー出身だというようなことを言うと、「ああ、だから顔が濃いのね」、みたいな。その説明をするのが結構面倒くさい。最近はよくこういうことを言う機会があって、しゃべりながら整理している感じがするんですけど。他の人がたとえば、横浜出身と言えば済むのが、何かやたら長いなっていうことはあります。それと母親の家系は札幌なのでむちゃくちゃですね。

(2人目おわり)

> 岡崎藝術座のWebサイト

※インタビューは2013年5月6日に行った。

観た人の岡崎藝術座 2人目:阪根正行さん(元書店員/「アラザル」同人)[2]

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青年団若手自主企画『昏睡』(作:永山智行[こふく劇場]/演出:神里雄大 2009.8)©河村竜也

▶場所性とアイデンティティ

――振り返ってみると僕は神里くんの作品にそれなりに関わっていて、『三月の5日間』、「りたーんず」、『昏睡』、鰰『動け!人間!』、『レッドと黒の膨張する半球体』とかあるんですけど。
一番ガッツリ関わってるのが『昏睡』で、そのときには「この台本どうする?」みたいなところから、付き合ったんですね。『昏睡』の台本は、ふつうによむと、ヨーロッパの演劇から生まれたテキストの雰囲気というか、そういう言葉でつくられたテキストだと僕は読めて、色でいったら青白い感じだったんです。それがなんか神里くんは、「このテキストは、なんかあんまり土っぽくない、大地みたいな感じじゃないから、大地みたいにしたい」と言って、実際、演出でもヤシの木がスーツケースの中からはえてきたりとか、わりかし南の島みたいな感じのイメージだった。赤黄色いというか、暖かい、冷たくない作品になったな、という印象の作品になっていて、これはたとえば『グァラニ―』もそうだったし、石とかコンクリじゃなくて土みたいな感じとか、なんだろう、温度がある感じとか、そのへんがちょっと特徴的だなぁ、みたいなのはありました。
神里くんと南米、っていったときに僕のなかで思いつくのは、そのことと、変なふうに言葉が接ぎ合わされるというか、一緒になることで、この両方があるのが南米かな、と。
阪根 僕のなかにも『昏睡』はすごく強い印象を刻んでますよ。あのときの山内さんと兵藤さんはすごかった。なんせすごかった(笑)。この前のサンプルの『地下室』の山内さんも凄かったけど、あの『昏睡』のときの山内さんはその比じゃない(笑)。
青年団の俳優のレベルの高さはほかの作品を見ててもわかるんだけども、オリザさんの作品って俳優のポテンシャルをフラットにコントロールしてるような感覚があって、東京デスロックの公演を観た時に、「え、この人青年団の人じゃないの?」「こんなことできちゃうの?」みたいなそういう驚きがやっぱりあった。
『昏睡』のときも、トークショー聞いたんですけど、若造の神里くんが、怖いもの知らずっていうか、「だって山内さん全然台詞覚えないんだもん。僕のほうがよく覚えてるよ」とか平気で山内さんの前で言ってて、
――(爆笑)
阪根 オリザさんが山内さんに演出をつけてダメ出しするんだったらわかるんだけども「それだけ遠慮しないからこれだけのことができるんだな」というか。その波長の引っぱり出し方というのが凄いなと思ったんですね。
――確かに、その波長の引っぱり出し方が神里くんの何モノかだと思いますね。さっき『哲学と自然』(中沢新一・國分功一郎著)を読んでいて「直観的」という言葉が出てきて、そういうことなのかなと思ったんですね。なんかついつい解釈から入っちゃう感じとか、意味づけて整理してしまう感じがあるんだけれども、神里くんはそういう感じでもないな、というか。
俳優に直に行く、というか。例えば山内さんていう俳優がいたら、その人の振れ幅があるわけですよね。その振れ幅の軸が、軸が多い振幅、エネルギーがどれだけ出るかとか、体が動くかとか、声がどうかとか、そういうことの幅をわりかし最大限に使って、引き出してくるみたいなことはある。
『昏睡』は凄いエネルギッシュだったし、あったよな。とか。
阪根 今回の公演でいえば、柿喰う客の大村わたるさんはすごく楽しみですね。観ててうまいのはわかるし、中屋敷くんの演出にも応えていると思う。でもそれだけじゃないものを持ってる人だと思うし、それを神里くんが引き出したときに、大村さんがどう応えるか、あるいは裏切るか、というのはすっごく楽しみ。
ブログにも書いたんだけど、『ヘアカットさん』の時、僕が観に行った理由の何割かは内田慈さんと坊園初菜さんが出てたからなんですよ。前田司郎さんの作品で坊園さんがいい演技をするってのがあったのと、内田さんはいろんな劇作家の作品に出演していて、それで神里くんの作品に出るっていうので行ってみたら、ちょうどアフタートークでふたりに質問できたんですよ。
神里くんの作品はどう考えてもふつうじゃないというか「なにかしら俳優側としてもモードを切り替えないといけないのかな」と思って、「神里くんの作品って訳わかんないですけど、俳優としてはちゃんとわかるんですか?」みたいなことを聞いたら、それに対して「むしろ「わからない」といわれることがわからない」って言われてびっくりしたんです。「神里くんの演出の指導は的確だったから、演技していて、これはどうしたらいいかわからないということは無かった」と。
――ね、それが実感なんでしょうね。
阪根 僕の想像では前田さんの作品と神里くんの作品を演じるんだったら迷うだろうなーと思うんだけど、全然そんなことないですよ、ってことだったので(笑)
――意外とね。なんなんだろうなぁ。だけど出来上がってるものは全然わけわかんないものとして見えるんですよね。
阪根 あと『ヘアカットさん』は岸田國士戯曲賞の最終候補にノミネートされた作品で、その年に柴くんが『わが星』でとったじゃないですか。
――とりましたね。
阪根 同い年だということもあって、当然ライバル心もあるんだろうけど、そのときに神里くんは怒ってたというか、「なんでわかんないんだよ」みたいなことを言ってるのを僕は聞いてたんです。
――そうなんですね。僕は『わが星』側でかつ同じ落選作(松井周『あの人の世界』)の側でもあってそれはそれで複雑だったので、あんまり知らなかったです(笑)。
阪根 観てるときは「『ヘアカットさん』っていってるのにヘアカットさんなかなか出て来ねえな」みたいな感じだったけど、出てくる人の名前が「大崎」とか「目黒」とか地名で、テキストのレベルでいえば神里くんはそれを全部意味づけているというか、厳密に区別して書いていたんだなと。ただ観てるだけだと全然わからないけど、けっこう奥深い作品だったんですね。
だから神里くんの中で、『ヘアカットさん』は、単に演出が変わってるとかじゃなくて、テキストをちゃんと読めば、コアなテーマが出てくるものを書き上げた、っていう自信があって、ノミネートされたから「それなりに読んでくれるだろう」と思ってたのが、誰もそう読んでくれなかった、そのことを怒ってたんじゃないかと思ったんです。
――なるほど。僕も全然わかってなかったですけど「今まで観た神里作品のなかで『ヘアカットさん』の最初の30分が1番か2番」が持論です(笑)。
阪根 それが『隣人ジミー』とかになってくると、要するに「そこにもともと居る人」と「そこじゃないところから来た人」が混ざった時に起こる問題、みたいなことになっている。南米とかペルーのことも絡むんだけど、「場所性」とか「アイデンティティ」のことが問題意識としてはっきりしてきたと思いますね。
――それはそうだと思いますね。
阪根 神里くん自身の経験で、「出身どこ?」とかってよく言われてしまうって。ペルーとか言うといちいち説明しなきゃいけなくなって、「ハーフなの?」みたいな質問も悪意なくされるし、もううんざりしたと。
そういえば『グァラニ―』のときにもそういう話はやっぱしてたなと。そのときは町田の話でしたけど。町田って、東京都なんだけど、例えば小田急に乗って行ったら、多摩川わたってまず川崎になって一回神奈川になって、町田になったらまた東京になって、そこからまた神奈川になる。じゃあ「町田って東京なの神奈川なの?」みたいなことになる。境界の問題ですね。町田くらいだったらべつに大した問題になることはないんだけど、境界のあいまいさみたいなのを、ずっと一貫して神里くんは書いてるんだと思うんですよね。
――なるほど。それは面白い言い方ですね。確かに、場所、ないしは場所の名前みたいなこと神里くんの作品を読み解く上では重要なファクターである感じはします。これに関してはいくつかエピソードはあるんですけど、『三月の5日間』をやるときに、もともと今、日暮里にある「d-倉庫」がオープンするから、安くなってるとかで、そこで『三月の5日間』をやるのはとてもいいんじゃないか、といってたんです。
神里くんは「自分は川崎で、この戯曲(『三月の5日間』)は横浜~六本木ラインみたいな空気の世界だ」と。それで、横浜~渋谷~六本木というのは西からものがやってくるラインで、それに対して日暮里、山手線の東北ゾーンは上野に近くて、東北から来るものを受け止める場所で、そういう人たちが住んでいる。そういうようなことをやろうとしていたんです。やろうと思ってたら、d-倉庫のオープンが延びて出来なくなり、それで新百合ヶ丘(川崎市アートセンター)と上野(上野広小路亭)でやった。
阪根 ああ。
――その神里くんが、横浜の急な坂スタジオの若手育成プログラムで、「横浜のアーティスト」みたいなのになったというのは、だから僕個人としてはものすごく意外で、その頃すごく横浜とか渋谷とか毛嫌いしてたから「おい、どうしたんだ!?」みたいなのは僕はあったんです(笑)。
阪根 (笑)

『三月の5日間』の公演のときは、神里くんから「なにやればいいすかね?なんか面白い本ないですか」みたいに聞かれたので、当時まだ誰も他の人が演出していなかった『三月の5日間』を薦めて、結局やることになったので、そのままの流れで制作面のことを少し手伝った。公演の準備中にちょうど僕が『新・都市論 TOKYO』(隈研吾・清野由美)を読んでいたので薦めたら、神里くんがそこに引用されていた『東京育ちの東京論』(伊藤滋)に興味をもって、上で言っている「西からものがやってくるライン」「東北から来るものを受け止める場所」とかはその本に書かれていることによる。
このときから僕は「神里くんはやけに場所にこだわりがあるな」と思っていたが、そのことと、『グァラニ―』に端を発し最近の神里くんの作品に顕著に見られる「アイデンティティ」「ナショナリティ」のことがリニアに繋がるのだ、というのはこの阪根さんの話で初めて自覚したことだった。この切り口は今後の作品においてもよく確かめたほうがいいのかもしれないと思った。

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観た人の岡崎藝術座 2人目:阪根正行さん(元書店員/「アラザル」同人)[1]

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阪根正行さんは、以前ジュンク堂新宿店の書店員をされていて、書棚の特集やトークイベントなど精力的に企画をされていた(今は全然違う仕事をされている。批評誌「アラザル」の同人としても活動中)。僕とのつながりは、2009年の「キレなかった14才♥りたーんず」のときと、その年の秋に、ジュンク堂新宿店で演劇と本をからめた企画書棚を開催させてもらった頃に遡る。そのくらいの時期から、こまばアゴラ劇場にも足しげく通ってくださっていて、他の劇場でもよくお会いした。
で、また、阪根さんのブログが個性的というか、演劇という「異文化」との遭遇に向き合いながら綴られる内容がいつも興味ぶかかったのである。とくに「神里くんの作品を南米文学を通して理解することはできないか?」というあたりの猪突猛進ぶりが微笑ましいというか、目を見張るというか、阪根さんがそれを書く時のエネルギーが、気になっていた。
前回の大崎さんとの話…神里くんの作品はテキストで成立してる…みたいなことにまた別角度から光を当ててみるにあたり、阪根さんがいいんじゃないかと思ったのはそのへんからだった。

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『古いクーラー』(2010.11)  ©富貴塚悠太


▶神里作品を観ると南米文学が読める(笑)

阪根 神里くんの作品の観たのは「りたーんず」(「キレなかった14才♥りたーんず」)『グァラニ― ~時間がいっぱい』が最初で、何作品か観て、だんだんわかってきたところもあるし、そのときそのときで感じ方が違うのもありますね。そのなかで「言葉」を一番感じたのは『古いクーラー』。
『グァラニ―』のときは「ホントわからない」という印象で、杉山圭一さんと高須賀千江子さんの独白のシーンが多いな、という印象はあったんだけど、中身までどうこうという所までは感じられなかった。それが『古いクーラー』の時には、「言葉」というテーマを真正面からやってきたな、という印象で。
――『古いクーラー』がよかった、っていう人結構多いんですよね、実は僕観てないんですけど。
阪根 演劇はなんでもできちゃうというか、いろんな要素を組み合わせて作品をつくりあげることができる、にもかかわらず、『古いクーラー』は、俳優がたくさん出てくるんだけど、基本的に一人ずつ俳優がポンと出てきて、独白というか、そんなレベルじゃないかなり長い話をするんです。テキストもポエティックというか、そのままでは理解できないような内容で、なんというか、話しながら/話していくうちに語呂合わせでどんどん変化していくという感じで。ほんと「テキストに賭けてるな」って感じました。ともかく俳優さんが出てきて、ただ台詞を言うだけ(笑)。「ここまでやっちゃうんだ」と、神里くんはテキストに対する意識が相当強いんだと感じましたね。
――戯曲で読んでもそんな感じでしたか?
阪根 それで、神里くんとその作品について何か書いてみようと思って台本読んでみたんですけど、『古いクーラー』のテキストはうまくいってると思いますね。神里くんは演出のインパクトが強いから、ほとんどの人がテキストの中身にまで意識が届いていない。だからこそ、『古いクーラー』は神里作品のなかでは外せないというか、もう一度じっくり検証したほうがいいかもしれないと思ってます。
ただ、神里くんのなかでも刻々と変化していて、この前の『隣人ジミーの不在』の場合は、チェルフィッチュの山縣太一さんがいたからというのもありますけど、俳優の身体というか、テキスト/語りというよりは、俳優の身体を露呈させるみたいな感じでしたよね。
――そうですね。僕は、『R.U.R. -ロボット』観て、『オセロー』観て、なんというかまあ、めちゃくちゃで、めちゃくちゃだったけど面白くて。そのあと一人芝居があって、そこでその時までの劇団員がぬけちゃって、で『三月の5日間』をやって、それもめちゃくちゃやって、でもそれで評判になって、神里くんがもともと持ってた破壊っぽい感じと岡田さんの言葉と身体のこととかが妙な組み合わせになって、という経緯のなかで、最近はだんだん、昨今のモードにあってきてるというか、わりかしミニマルな身体性みたいなので魅せるみたいなことになってきたな、と、僕のざっくりとした印象はそんな感じですね。
それで本人にも「自分のじゃないテキストでやってみたら?」とか言ってたら、去年『アンティゴネ/寝盗られ宗介』をやるというので、すごく期待していたんだけど、まあ、いい作品ではあるんだけど「俳優の身体で見せてるんだなぁ」「静かだなぁ」とか思っていて、『隣人ジミー』のもそんな感じだったので、去年のF/Tの終わり頃に二人で呑んだ時に「もっとちゃぶ台ひっくり返してもいいんじゃない?っていうかそういうんじゃなかったっけ?」とかいったりして。なんかその日は数年ぶりレベルですごく意気投合して、それで、なんだかだんたんと今回制作手伝うような流れになった、という感じです。
それまでは「神里くんもなんかなんとかなりそうだな」と思ってあんまり触らないでいたんだけど。

阪根 観て納得しちゃうのは、神里くんにとっていいことじゃないのかもしれないですね。初めて『グァラニ―』見たときに「なんじゃこいつ?」っていうのがあって、『リズム三兄妹』みたときも、馬鹿馬鹿しいんだけど「なんじゃ?」と思った。それでいうと、『古いクーラー』とか『隣人ジミー』とかは、「なんじゃ?」感はあるけど、ある意味すごく突き詰めてるというか。鰰『動け!人間!』の「淡水魚」のプログラムで稽古の場面を見ることができたから、演出の付け方を見てたら、すごく的確にパチ、パチっと指示を与えていく。神里くんはトークショーでははぐらかすけど、「何もわかってませーん」っていう人じゃないよな、と。
――結構、神里くんと南米の関わりみたいな感想は何人かみたことあるんですけど、僕、阪根さんがブログで書いてるのがなんか一番印象が強くて、これなんなんだろうなーと思ってるんです。阪根さんはどういうつもりで書いてるんですか?
阪根 神里くんがペルー生まれだっていうのを知っていて、そういう先入観があるからかもしれないけど、でも作品を観てもそういうのは感じて、ブログで南米の文学とかのことを書いたんですよね。
僕はもともと建築をやっていたんだけど、南米で著名な建築家というとブラジルのオスカー・ニーマイヤーとかメキシコのルイス・バラガンとか。確かに色の使い方とか造形感覚に特徴があるんだけど、あまり謎めいた感じはない。南米と言えば、やっぱり文学。ボルヘスとかガルシア=マルケスとか。そういう人を意識した作家って日本にも何人かいるんだけど、ガルシア=マルケスを読んで「面白い」っていってガルシア=マルケスみたいな作品をつくる人と、「自分がつくったものがガルシア=マルケスみたいになってしまう」という人では全然違うと思うんですよ。それは気質の違いとかも含めて。
神里くん自身はどう感じているのか知らないけど、彼が素でやる作品はやっぱり、そういうものになってしまう/なってしまっている、と感じるんですね。南米文学をしっかり読んで受容した日本人の作家が書いた作品を読んでも、やっぱり違うなーって思うし、逆にボルヘスとかガルシア=マルケスを読んでも、やっぱり分かんないなーって思う。どっちもダメなんだけど、そんな時に、神里くんの作品を観るのが一番ダイレクトでいいんじゃないかって。神里作品=南米というわけじゃなくて、これがなにかはやっぱりわからないんだけど、この分からなさを実感してから、ボルヘスとかガルシア=マルケスを読んだら、意外と読めたりする。


「キレなかった14才♥りたーんず」のときの神里くんの自伝的作品『グァラニ― ~時間がいっぱい』では、パラグアイでの少年時代と、日本に住むようになってからの学校生活、あと町田でそれを書いている現在の自分というのが描かれていた。お話としては「カルチャーギャップもの」みたいにくくればくくってしまえそうなストーリーだったが、やっぱりその出方の球筋が全然違うというか、同じく自分の少年時代と現在を描いた柴幸男くんの『少年B』の「ベタとそのズレ」と対比すれば、「そもそも食い違っているが表面的にはベタ」というような感じで、成り立ち方が正反対な感じさえした。
阪根さんのいうように「素でやるものがそうなってしまう」結果として生み出されている作品を、どういう角度から観て捉えるか、そのへんがいつもややこしいというか、ともすれば、自分の価値観を正当にして押し通せてしまいそうな微妙な雑種感があるんだよな、と思う。

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観た人の岡崎藝術座 1人目:大崎清夏さん(詩人)[3]

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▶言葉が露出させる想像

――他に印象的だった作品はありますか。
大崎 鰰(『動け!人間』「深海魚」プログラム/2010年4月)で兵藤公美さんがやった役の人が、懸賞のはがきを書いて投函するまでを、身振りと言葉でずっとやっている一連のシーンがあって。そこのところの言葉が凄く面白いと思った記憶がありますね。動詞でリズムをとっていくというか、書いて、切手を貼って、ポストに投函する、というのがずーっと繰り返されてく。
――あったあった。
大崎 ぐるぐるぐるぐるすると発電する装置みたいな感じ。動詞とか名詞とかぐるぐるやってたら、こんなのが出たよ、という感じ。詩でも短編でも、テキストでも演劇でもそれでつくられているという感じはしますね。
――確かに。他には?あの、詩集のあとがきで書いてる一人芝居(『雪いよいよ降り重なる折なれば也』)は何が良かったんですか?
大崎 どこまで神里くんが意図してたかわからないんですけど、演劇を観たあとに、演劇を観た場所で、芝居していた役者さんが去って、ほんとのママさんが入って、そこで実際お酒が呑めるようになって、呑んでて、知らないおじさんが入ってきて…みたいなところまで含めてひとつの流れになっていて、「今、なんて不思議な空間なんだろう」と。それこそ今日、品川を歩いたら、街の風景に今は無い「海」が見えてきたのと同じで。ママと私の関係は今お酒を出してもらって呑んでるだけなんだけど、私にはママの人生が見えているというか、バー空間がさっきまでと違って見えるようにしてくれた芝居だったので、それが凄く楽しかった。
『三月の5日間』も、道路端で座ってみていると、道路が違って見えてくる。そういう現象が私は好きですね。
神里くん本人は、「そっちの方向はあんまり封印していこう」と何年か前に言ってたような気がしますけど。「とんでもないことをやれば、お客さんは、わー、ってなるけど、それだとそれだけになっちゃうから」と。
バーのママの人生を誰かが演じたら、そのバーの歴史をずっと自分も観てたような気がするなんて、演劇以外の方法ではなり得ないことだと思うから、そういうことを私はいろいろやってみてほしいというのはあります。
――劇場でやることが増えてるからね。とはいえ、神里くんの作品は言葉で成立してるってところが大きい。
大崎 たぶんそうだから、ずっと観てるのかな、と思います。

このインタビューの前に、大崎さんと一緒に『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』東京公演の会場、北品川フリースペース楽間の周辺を歩いた(4月24日に神里くんとPLATEAUの皆さんと一緒に歩いたところ)。旧品川宿に楽間はある。地面の傾斜や地図に描かれた地形などから、江戸時代まで通り(旧東海道)のすぐ南に海があったことがすんなり呑み込めてくる。そのうち、今立っている地面も海だったんだなぁ、と今ある建物が舞台装置のように見えてくる。言葉が場所や空間の名前や機能を固定する、というのと逆の、言葉が埋もれた地層を露出させる、という感じだろうか。そんな感じのことが、演劇でもたしかによくある。
一方で、僕はいつも神里くんのテキストに対して、印象がないように思っている。「わからない」というか「こうだ」というふうにつかめない、振り返るとうまくまとまりがつかない、というか。「こういう感じなんだけど、いや、でも違うな」みたいに必ず「いや、違うな」がまとわりついてくる感じがする。

大崎 物語として面白いというよりは「このフレーズをこんなに遊んじゃいました、いいでしょ?」みたいなことがたくさんありますよね。神里くんの演劇って、そういうものがつながってる感じがして、で、1個1個のフレーズに対して、すごくいいね、とか面白く無いな、とか、こっちは勝手に思う。だから私は、見終わったあとどういう作品だったっていうのはつかめなくて、部分的に「ポストの投函」とか「あそこのリズムがよかったな」とかそういう印象で記憶してる。
――たしかに、ある種のあり得ない風景が想像される、というようなことが起きてるのが、面白いところで、それは言葉で成立してるからこそで。
大崎 だから作品全体として、こう盛り上がって、こう結末があって凄かった、みたいな受け取り方ではないですよね、いつも。
――その時の、刻々の言葉が訴えかけていくなにかが並んでるという。
大崎 たぶん、私がバーの一人芝居が好きなのは、そこに一本ママの人生っていうのが、長大なストーリーとしてたってるから。そこに勝手に筋があるわけじゃないですか。そしてその周りに面白い言葉がいろいろあって、ということになってたから、「ママの人生」という物語としても、1個1個の言葉、「遊び」っていう部分でも、面白いと思ったのかもしれない。
――なるほど。ひょっとしたら、今回の『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』はなんかうまくいくかもしれない、と想像しました(笑)。すっごい乱暴な話だけど、要はその一人芝居は、「伝記」っていうジャンルで、一本通さなくても筋が通ってるという。一方今回は「ミステリー」というジャンルらしいので、「ミステリー」がどういう意味でも、犯人探しじゃなくてもいいし、謎が解けなくてもミステリーってもはやいいと思うんだけど、その中で、最初から最後までミステリーしてたらそれでいいんじゃないか?…という感じで。意外と今回いいのかも、というインピレーションを得ました(笑)。
大崎 あー楽しみですね。ここ数年『相棒』が好きでよく見てるんですけど、うちで「ミステリー」っていうときの定義は「最後にどういう風景が見えるかだ!」っていう話をいつもしてて、
――というと。
大崎 最後に見える風景というのは、最初の風景なんですよ。
――そうか!なるほど。一周して戻ってくる。
大崎 ミステリーとかサスペンスでは、犯人がそもそもなんでそんなことをしたのかっていうのが最後に見えるわけじゃないですか。その最後に見える最初の風景がいい風景だったら、それって凄くいいミステリーだよね、っていう話をしてるんです。
――あとバーの一人芝居のキーはもうひとつあって、それは「位置」だよね。その位置を誰が占めてるのか。カウンターの向こう側に、人生の断片を演じる人が居た後に、その人自体が断片となって退き、そこに現在のリツコさんが来た、っていう事自体も演劇としてできてるというか。
大崎 そうそう。だからリツコさん自身は演じてるつもりないんだけど、見ているほうには演技にしか見えなくて、「これって演技だよなぁ」って思わされたりするんですよね。
――あの詩集のあとがきに入れるってことはよっぽど印象的だったんですね。
大崎 そうですね。あと、あの文章が気に入ってたっていうこともあります。
――ああ、文章自体はすぐに書いてブログに上がっていたやつを入れたと。
大崎 そうですね。でも、神里くんの演劇観て、毎回感想文書くわけじゃないから、印象的だったんでしょうけど。

※大崎さんが観劇した頃に書いたブログ
http://blog.livedoor.jp/silent_momo/archives/2007-12.html

まだうまく表現できないが、このインタビューを通して、僕が考えたことはこんなことだ。
「破壊したらしっぱなし」で「言葉(だけ)で成立している」神里作品は、作中人物に役者がなり切るって物語が語られる形の演劇とはだいぶかけ離れたところにある。物語的に回収される予定のない断片/出来事が降り重なる、人生のひととき/断片のようなものとみたほうが近い。でも、なぜかはわからないがともかく、作品を観るときにはそういう「演劇作品」として理解しようというスイッチが入っている。舞台上で起こる様々な出来事に「回収」を期待している。その矛盾というか摩擦が「わからない」というような印象を残しているのではないか。
既存の作品を演出する場合や、『雪いよいよ降り重なる折なれば也』のように空間と時間の隠れた層をあらわにするような作品の場合、そこの摩擦が緩和されたり、あるいは媒介するなにかがあるために、観ている側が勝手にひとつにまとめあげるのに成功して、受け取りやすくなるのかもしれない。でも、そのとき残るのは、やはり断片の感触のほうだ。
そうすると、神里くんの新作戯曲でツアーもある、という今回のような形での公演が奏功するために僕が思いつくのは2つの方向になる。「伝記」や「ミステリー」のように、なんらか媒介されるような共通了解を枠付けるか、「わかる/わからない」の判断をぶっ飛ばすくらいの「感触」で圧倒するか。あるいはその掛け合わせの合わせ技。
もちろん、ほかにも選択肢は考えられるし、これは現状進んでいる『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』にフィットさせた仮説にすぎない。こうやればうまくいく、みたいな特効策はないけれども、DVDを焼く時の「ファイナライズ」みたいなことに、今回はちょっと注意を払ってみようかしら、と思った。ファイナライズをするのが、演る側なのか、観る側なのか、は現段階ではわからない。が。


(1人目おわり)
※インタビューは2013年5月4日に行った。

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