読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

観た人の岡崎藝術座 1人目:大崎清夏さん(詩人)[1]

f:id:nomuramss:20130504115417j:plain

詩人の大崎清夏さんは、自身の詩集『地面』の終わりに、あとがきに代えて、2007年12月の岡崎藝術座の一人芝居『雪いよいよ降り重なる折なれば也』を観劇した日のことを綴っている。神里くんとは大学時代の同級生で、岡崎藝術座結成前にサークル(劇団森)で上演された作品から現在まで神里作品を観ている数少ない存在でもある。
僕がこれまで観てきたこと、加えて、神里くんや昔から神里くんのことを知っている人から聞いた話を合わせると、利賀演出家コンクールの前後、そして、『三月の5日間』の前後で、その作品のあり方は変わっているように感じているが、その一方で、外身が変わっても、変わっていない部分もあるような気がする。
大崎さんに話を聞きたいと思ったのは、すべての作品ではないにしても、学生時代から10年を越える長きに渡って、作品を観続けてることになったのはどのへんからなのか、というあたりだ。このことを通して、外身が変わっても変わっていない部分が浮き彫りになるかもしれないと思った。

▶ほったらかし
――なんのかんの言って神里くんの作品を続けてちゃんと観てるんですよね、大崎さん。
大崎 そうなんですよね(笑)、なんか神里くんの演劇好きだったんですよ。早稲田に入ってなんとなく「演劇を観なきゃ」みたいな雰囲気にさせられるじゃないですか、文学部にいると。それでいろんな演劇を観たんだけど、「あんまり面白くないな」と思ってたところで、劇団森の神里くんの作品を観て「他のと違う」って思って。それからずるずると、公演があると聞くと行く、みたいな感じの流れで。
――最初からずっと観てる人、他にあんまり居ないですよね?たぶん。
大崎 今も岡崎藝術座観てて、その頃も観ててという人はあんまりいないかもしれませんね。
――他の演劇とは何が違ったんですかね?
大崎 入学してすぐに幾つか観て、それでもう観るのやめちゃったんですけど、人間ドラマというか人情系というか、登場人物たちの人生にいろんな出来事が起こって、最終的に家族の絆が回復される、みたいな話が多くて、そういうのは私にはつまらなくて。私がたまたま選んじゃっただけかもしれないんですけど、
――一方その頃神里くんのはどうだったんですか?
大崎 そういうのじゃなかったんですよ、神里くんのは(笑)。なんていうか、破壊したらしっぱなし。今もそういうところありますけど、よくある感動パターンにはもってかなくていい、みたいなもので。
――ほったらかしな感じで。
大崎 それで、ほったらかしてる間に、別のところが大変なことになってた!みたいな。
――なるほど。その頃は、自分で書くのと、既存の戯曲を演出するのと両方あったのかなぁ、という印象があるんですけど。
大崎 カレル・チャペックの作品とかもやってましたよね。
――ああ、それは僕が最初に観た作品です(『R.U.R. -ロボット』/2007年6月)。
大崎 私はそれは観てなくて、その次のシェイクスピア(『オセロー』/2007年10月)を観ました。シェイクスピアなんていちばんまっとうな家族の悲劇のはずなのに、全然そういうものとして受け取れなくて、そこが面白かった。
――利賀で賞をとったやつ(『しっぽをつかまれた欲望』作:ピカソ/利賀演出家コンクール2006最優秀賞)は東京で観ましたか?プレビュー公演をやってたみたいですけど。
大崎 観てないと思います。シェイクスピアもピカソもチャペックも、元の戯曲があるものを演出するのが好きなんですかね、神里くんは。
――そんなに好きでもないみたいですよ。僕は1年に1回くらい、神里くんに「元があるやつやれば?」て言ってるんだけど、2007年くらいから、あんまりやらなくなっていくという感じがします。『オセロー』やって、一人芝居(『雪いよいよ降り重なる折なれば也』作・演出:神里雄大)をやって、それで『三月の5日間』(作:岡田利規/2008年8月)をやって、そのあとはほとんど自分で書いてるから。

僕が最初に観た岡崎藝術座の作品『R.U.R. -ロボット』では最後に大量の割り箸が数分間(の体感)の長さで降り続けたのが印象に残っている。役者は組体操みたいに3段で組んで2人の俳優を担いでいた。その上から「カラン…、カランカラン…、バリバリバリ!!」と割り箸が降り注いだのだ。すごくびっくりした。何でそんなことになるのかよくわからなかったが、インパクト狙いでそれをやっているようにも思わなかったので、なんかその時間の感触が印象に残っている。
そして、シェイクスピアの『オセロー』もそんな激しさをもった上演だった。こちらは、オセローへまとわりつく悪意とそれにより狂っていくオセローの混乱の、激しさの感触として印象にのこっている。ギザギザした感触、それが残っている。
付け加えると、僕が昨年のF/Tのあと、神里くんと二人で飲んでいるときに言ったのは、たとえばこのギザギザした感触のような部分は最近シュッとしてるよねということだった。

>

> 岡崎藝術座のWebサイト