メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/1/8〜1/10

2017.1.8

建設が止まっているという台北市立劇場の現場に寄り、近くの士林の街や市場を少し散策、北投で昼飯を食べて、鳳甲美術館へ。

龍山寺でもそうだったけど、こうした地場の文化と近代化の進んだ街なかの開きがこの後どのようになっていくのかな、と思う。日本ではどうなっているんだっけ、とも。

15:00からPortB 高山明さんの『北投ヘテロトピア』に参加。

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取り急ぎ美術館のほうの展示を一周していたら、温又柔さんがいらっしゃったので初めまして、のご挨拶。北投のツアーは温さんかたまに通訳してくださったのもあって、大変有意義だった。

明・清の台湾に対する消極さ、に対して、日本が植民地時代に行った近代化はかなり積極的。もちろん差別や暴力も伴っているし戦争があってこその部分はあるけれど、この時期に農業だけでなく工業の基盤をも築いてあったことで、戦後の台湾は他の地域に比べると、経済発展について考えることができたのではないかと思う(とはいえ国際金融政策などで平坦な、道でもないようだが)

北投の温泉はドイツ人が見つけて、日本人が積極的に開発した。公娼制度をしいて、慰安の場所とした。大文字の歴史の裏面にはりついた、手触りのあるプロジェクトだった。

日本が建てたもの、国民党が建てたものなどを、バイクタクシーで巡る。このバイクタクシーは、娼婦たちが乗ってきた。もうすぐ壊されるという建物は、娼婦たちの性病を検診する場所だった。

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東京ヘテロトピアにしても、北投ヘテロトピアにしても、大文字の歴史や現代の市場的な価値観によって、こうして消えていく存在を、ある物語とともに収録していくことに、とても意味がある。アジアでは、建築物は、たとえそれが永続を意図されていたとしても、しばしば仮設であり、上演だ。建物が消えて無くなった時、建物以上のものがなくなる。かつてその建物があった、という場所の何もなさ、遡れなさは、無くなってから思い知ると、とても強い抗えなさがある。そこに予め、文脈や物語を見つけておき、線を引いておき、想像によって遡ることを可能にしておくこと、想像への梯子を中空にむけて(想像的に)立てておくこと、がこのプロジェクトの魅力で、また現代の演劇といえる部分だと思う。

最後の訪問地、山の上の源泉から、一気に都市部の美術館に戻ってくる時間はとても感動した。あっという間に還ってきた、という感覚が、束の間日常から浮遊していたということを、反作用として教えた。

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2017.1.9

オリザさんと台北駅で待ち合わせ、昼食、その後『台北ノート』の稽古を見学させていただく。マチコさんの役の女優さんがとても魅力的。稽古が早く終わったので、夕食も。

台湾のこと、アジアのこと、2月の東京公演の関係でふたば未来学園高校まわりのことなどを話す。

最近オリザさんと話すような機会は、外国や沖縄などでが多い。

台北桃園空港を夜23:50発、羽田に4:00着という便で東京に戻る。

 

2017.1.10

羽田に着陸したところでメールをチェックしたら、翌日の予定がキャンセルになり、結局アゴラ劇場に行き、ふたば未来学園高校演劇部『数直線』の仕事などする。