メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/3/8-14

2017.3.8

東京芸術劇場で『なむはむだはむ』を観た。子どもがかいたことばをもとに、岩井さん、森山未來さん、前野健太さんがコラボレーションして創作というもの。バックグラウンドが違う人達がコラボレーションしたものとしてとても緊密なものになっていて感心しながらみていた。
また同時に、これは舞台の評価とは関係なく、平和だな・・と、世界にいろいろとギザギザしたことがあるけど平和だなとも、観ながら思っていた。なんだかそのことが奇異に映る瞬間がたまに、ふいに、訪れた。単純に前日まで2週間外国に行っていただけなのだけど、自分の身体にはそのギザギザの跡があって、お風呂でお湯がしみる、みたいな感じがした。

そのあと実家に帰った。

 

2017.3.9

塩尻市の複合交流施設「えんぱーく」の中にあるハローワークに行き、沖縄県文化振興会の求人への応募の紹介状を出してもらった。

あとはひたすらデニーズで仕事をしていた。

夕飯のときだったか、父が正月の時みたいになんか書類を出してきた。曽祖父篤恵の弟・政彦について、祖母の13回忌の時に父のきょうだいで話題になったらしい。政彦は陸軍の研究所にいて、ミサイルかなんか砲弾の兵器の開発で功績があるらしい。所長にもなって、ウィキペディアにも名前が載っていた。政彦の開発した弾は硫黄島の戦いでも使われた。ググったところその弾が今、靖国神社遊就館にあるらしい。今度行ってみてみたいと思った。

 

2017.3.10

朝しなので塩尻を出発して、京都へ。京都駅であごうさんと合流したら、蔭山さんもいて、あごうさんたちが準備している劇場の物件へ。そのあと、流の關さんも合流して打合せ。

その後、坪池さんと合流して、白河通りの外で空間現代・野口順哉くんにインタビュー。

夜は、アンダースローで地点の『桜の園』を観た。

 

2017.3.11

昼からアンダースローで三浦基さんのインタビュー。その後しばらく仕事をして、外でライブ。テンテンコ、伊東篤宏さん、空間現代、KOPYが出演。ライブも良かったし、終わったあと2階の事務所に移っての手料理懇親会もよかった。愉しい場をつくっているな。

震災から6年。

 

2017.3.12

ひたすら仕事をしていた。

深夜バスで広島へ。

 

2017.3.13

早朝に広島・八丁堀に到着し、少しブラブラしてから、呉へ。

呉市海事博物館(大和ミュージアム)が素晴らしかった。呉という街自体が、海軍そして軍艦や潜水艦の造船で発展してきた街であり、戦後の歩み〜軍港の転用、朝鮮戦争での特需、等々〜も含めてきちんと調べて、右翼左翼どちらからも受け取れるような線できちんと展示されていた。日本の近代史を実感をもって感じられる場所だった。広島は世界の人が知っているだろうけど、呉のことを国内でも今どのくらいの人が知っているのだろうか。
大和ミュージアムは海外の人たちにとっても観光地になりうる博物館。『この世界の片隅に』が海外でも観られるようになったら、来る人も増えるんじゃないかな。
この博物館の設置においては、当時の呉市長がかなり努力をしたようだ。そういう本を見つけたので今度読んでみたい。

その後、呉の港のなかを周遊する船にのって、海上自衛隊の艦船、潜水艦を海からみるツアーに参加し、海上自衛隊の資料館にもいった。海上自衛隊の資料館はおもに、戦後の機雷撤去にどれだけ自衛隊が頑張ってきたのかが展示されていた。

日本の近現代を酸いも甘いも受け取る場所として呉は秀逸。小倉もこのくらいしたらいいんじゃないかと思う。福岡市の博物館はよいので、そのくらいやったらいいと思う。

ここまでで昼。

広島に戻り、原爆ドーム平和記念公園、平和記念資料館へ。資料館の密度は、それほど高くはなかった。それでも原爆の被害についてを概観して感じるには十分。

今更ながらわかった。『東京ノート』の劇場での上演の時、舞台美術でワイヤーのついた球体がいくつも吊られていて、その一つが赤い球なのだが、これは、この平和記念資料館のジオラマ展示にある、原爆の火の玉の引用なのだ。

今回半分無理矢理広島を訪れたのは、昨年1年欧州をいろいろ廻って、産業博物館や科学博物館、アウシュビッツみたいなところも訪れて、ヒロシマ、がまあいろんなところで展示されているのを観てきたのだけど、自分は広島の街をきちんとみたことがないという恥ずかしさから。例えばベルンのアインシュタイン博物館は、アインシュタインの人生を追う博物館でしっかり広島のスペースをとって展示していた。僕はそこに広島のことが展示されているなんてちっとも想定せずに行って、食らったのだった。

やっと観た、という感じ。

次にアステールプラザに行って、演劇を担当されている金沢さんにご挨拶、広島での取り組みについて、ちょろちょろ聞く。

その後、横川へ。横川シネマほかをぶらぶら歩いて回る。「かもめのばーばー」という喫茶店で小さなギャラリー展示が行われていて、そこのおばさんに教えてもらってロペズというお好み焼き屋にも行った。横川はなかなか面白い。

宿にチェックインし、その近くにあった広島つけ麺の店「ひろ」にも行った。広島つけ麺って今回来るまでまったくしらなかったけど、これは僕の好みにジャストミート。今年の夏は自分でタレをつくったりしてちょいちょい食べようと思う。

 めっちゃ濃い1日だった。

 

2017.3.14

朝、岩盤浴。この宿を選んだ理由がそれだったので。・・癒えた。長い時間あるいは度重なるフライトの疲労は岩盤浴でないと癒えないところがある気がする。

平和記念資料館で被爆体験伝承者の方による講話を聞きに行く。

この被爆体験伝承者というのは、広島市が5年前くらいからやっている制度だそうで、この日の回を担当されていたのは、第二期を受講されたという久保田さんという女性。いろいろと勉強して、さらに被爆体験者の方に直接お話をきいて、それを来場者に対して語る。久保田さんは広島出身でいまも在住。専業主婦をしていたけど小さい頃から、周りに被爆体験者が居たには居たが、今まであまり自分自身が考えてこなかったと感じて、伝承者をやろうと思い立ったのだという。

久保田さんが被爆体験者の兒玉さんの経験について語ってくださった。この回の参加者は僕1人だけ(いつもは10人くらいは居るらしい)。ホワイトボードに貼られた地図に場所を示したりしながらも、基本久保田さんの語りだけというシンプルなものだった。でもとても想像をかきたてられる話し方をしておられて、とてもよかった。十分「レクチャーパフォーマンス」だった。

一人の体験を淡々と順を追って、周囲の状況もわかるように語っていくことは、それだけで十分ドラマチックだ。自然と、この先どうなるんだろう、とドキドキしてくる。

これを体験した本人が語る事実性ももちろん貴重なのだが、聞いた話を自分の言葉にして語る営みには、また別の貴重さがあると思う。前々日のインタビューで三浦基さんは、演劇の言葉の公共性はそれが誰の所有物でもないことから出てくる、という趣旨の話をしていたが、被爆者ではない伝承者が被爆体験を語ることは、体験と言葉をだんだん公共のものにしていくことなのだと思う。取り組む人は誰でもよい。自分にその必然性を感じた人がきちんと取り組んで伝えていく。被爆者の方々が亡くなっても、その子供世代孫世代が亡くなっても、この体験は語り継いでいく必要があるし価値がある。

久保田さんの講話が終わって、いろいろと質問していると、次のコマを担当する山岡さんという女性が入ってきて準備を始めた。僕が次の時間には出られないことを告げるとそこから駆け足で山岡さんの講話の内容も見せてくれた。パワポを駆使して、凝ったアニメーションまでしながら、原爆の実相や現在までの核兵器の有り様までについて語る。久保田さんのシンプルなものとは全然違う。

山岡さんは英語の講話も担当しているとのこと。海外の人たちはどんどん質問をぶつけてくるので、典型的な質問に関しては答えられるように英語のカンペノートを用意している。答えられない質問が出てくると、それについて勉強する。ともかく勉強。英語も7年前から勉強し始めた。また、中高生に話すこともあり、東京の高校生などになるとかなり専門的なことまで質問してきて、どのくらい勉強しているか値踏みをされる。もしきちんと答えられないと、その後の話を真剣に聞いてもらえなくなるのだという。だからいつも勉強。その姿勢に頭が下がるし、自分はどうだろうかと問う。

この伝承者の講話は、青年団の河村くん(広島出身)が教えてくれた。教えてもらわなかったら行かなかっただろうと思うので大変感謝している。

沖縄でもひめゆりの体験の語り継ぎが課題として認識されている。この取組みの全体がとても勉強になった。

ここまでで昼。

ここから確定申告の書類をアレして郵送。そして宮島へ。

厳島神社への道すがら「牡蠣カレーぱん」を食べる。おれも前日「かもめのばーばー」の方に教えてもらった。

平家が重んじた神社。もともと宮島に対する信仰があり、推古天皇の頃から神社としての記録がある。河村くんの話では、宮島にはお墓をつくらず、対岸の本州島にお墓をつくっていたのだとか。ある意味、こうした離島を神の島として信仰するというのは、久高島や大神島なんかとも通じるのではないかと思う。そういう、古代を感じさせる場所だ。

呉もそうだけど、このあたりの西(東アジア)との繋がりを今まで意識したことがあまりなかった。日宋貿易を促進していた平家としては、ここを中心に京都の朝廷をもっとアクティブに国際的にしたかったのかもしれない。

ちょうど時間的に干潮で、歩いて鳥居まで行き、ふっとい柱にペチャペチャさわったりした。次回は満潮のときに来てみたい。

広島に戻り、ゲストハウスにチェックインして、広島駅で夕飯(尾道ラーメン)。駅の2階のお好み焼きのれん街みたいになってるところの様は、なんかとても大阪を思い起こさせた。

その後、十日市の音楽喫茶ヲルガン座へ。金沢さんに教えてもらった。ビル一棟が「十日町アパート」という民間のアートスペースみたいになっている。ヲルガン座を主宰しているゴトウイズミさんは、アコーディオンをひきながら歌う活動をしている。この日は、大阪から来た方と、ヲルガン座の「アコーディオン部」の部員の方とゴトウさんの3人によるライブがあった。大阪の方は、リュクサンブール公園というユニットをやっていて、僕はそれを2013年だったか、小豆島坂手港のeiカフェで、ままごとと一緒に観た(遅れて行ったため、この日のライブは観れなかった)。

ヲルガン座には複数の「部活」があり、ヲルガン座で地元の一般の人が集って練習したり発表したりしているらしい。とても面白いあり方だし参考になる。

ゴトウさん自身は広島の人ではなく、山形から福岡の大学に行き、西表島経由で広島に落ち着いたらしい。ヲルガン座は6周年。

気付くと路面電車の終電は終わっていて、駅前のゲストハウスまで30分ほど歩いて帰る。

広島ちょっと面白い。興味をもった。まだいろいろ観れてないところがあるので、また来たい。