メモ|ジャーナル

野村政之のメモとジャーナル

2017/4/24-5/2

2017.4.24

環境形成推進事業の応募〆切。

 

2017.4.25

環境形成推進事業の応募書類をコピー祭り。全然終わらない。

 

2017.4.26

資格審査

 

2017.4.27

県庁で県文化振興課とのミーティング。応募・採択未満の事業者に対する「相談会」のことについて県にも提案。やりましょう的な感じ。

 

2017.4.28

ずっと予備審査。その後の審査員に送る資料の準備まで含めて23時近くまで働いた。初めての残業らしい残業。あんまりそうしたくないが。

 

2017.4.29

朝から家の掃除をして、12時から泊港来週の「那覇ハーリー」の練習。チャリで若狭あたりをぶらつき、その後ジュンク堂で『中動態の世界』を購入。

14時から県立博物館美術館で、復帰45周年特別展「写真家が見つめた沖縄」のシンポジウムへ。石川竜一さんが司会をつとめて、復帰後世代の参加アーティストと語る第一部と、研究者やギャラリストと語る第二部。

沖縄ではこういうふうに参加アーティストがズラッと並んで喋るみたいなシンポジウムがよくあるが、今日は比較的面白かった。タイラジュンさんが「先輩の写真家の方からお叱りを受けることを楽しみにしていたが既定なくて残念」と言っていた。僕もそう思った。そういうプロレス見たかった気もする。というかそういうのが大事だと思う。

展示のほうもけっこうよかった。沖縄の写真文化は、アマチュアからプロ志向までがシームレスにつながっていて、それが魅力になっていると感じる。

それだけに第二部シンポジウムで語られていた、収集・保存・研究の基盤がないのが非常に課題。

帰りにビッグ・ワンでいろいろ買って、なんとなく自炊環境が整ってきた。

 

2017.4.30

自転車で。

壺屋の那覇市焼物博物館。何度か壺屋はうろうろしていたが、博物館に入ったことがなかった。沖縄の焼物の歴史や技、日常をシンプルに紹介するいい博物館だった。

首里城を瓦葺きすることになり、首里王府が各地にあった窯を壺屋に集めた。

19世紀末に民家を瓦葺きが認められて、焼物が活気づいた。

・明治以降、観光によって歪められかけていた沖縄の焼物が民芸運動によって助けられたという。紹介映像の中でも「用の美」という言葉を使っていた。

・軍人の為の焼物、爆弾に焼物を使うこともあった。

・焼物師が人間国宝に指定されることで、コンクリート建築によって戦後需要が減っていっていた沖縄の焼物にもう一度光が当たった。

桜坂劇場エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』。約4時間の長編。長い作品の面白さは、物語が線的にじゃなくて面的に広がって体験できることだ。この作品は1960年の台北に住む外省人を主に追っている。設定が優れてる。日本家屋に住む外省人プレスリー等いろいろの要素。『ヤン・ヤン 夏の思い出』が好きなのだけど、あの作品にもそういうような社会的背景があったのかどうかもう一度見直してみたい。夜に読みかけだった中公新書の『台湾』を読む。外省人の支配層は日本家屋に住み、支配層でない人はバラックに住んだ。それにしても戦後まもない台湾はとてもひどいことになっていたのだと痛感する。

 

2017.5.1

2人のPOの方が勤務開始。これでCPOPOチームは8人になった。

 

2017.5.2

CPOPOの定例会議で、応募・採択未満の事業者に対する「相談会」のことなどについて打ち合わせる。意外とスッと名前まで決まる。先月半ばくらいまでアイディアとしてしかなかったものがすんなり形になっていく。あと新しく入ったPOから、相談者目線の意見とかが出たり、それぞれの理解度合いで話せたのもよかった。前回勤めていた時とはちょっと違う感じで楽しみだ。

応募事業の予算書と添付書類のチェックをしつつ、事業計画の内容についての理解を深める。審査会まで出来る限りこれを深めていきたい・・

終業後、文化芸術推進課の歓送迎会。課長につれられて朝5時まで。2次会では、マスターがギターで生伴奏をしてくれる店で歌う。なんとなくここのところ口ずさんでいる「時代」(中島みゆき)を歌った。3次会はビリヤードとカラオケの店。ここでも歌う。久しぶりの朝までコースだった・・

課長は日曜日まで東京でポール・マッカートニーのコンサートに行っていたそうだ。筋金入りのポール/ビートルズファンみたい。カラオケで歌う曲も、アメリカの歌がけっこう多い。沖縄のこの世代の方にとってのアメリカはちょっと距離感が違う。